n進法表記の数の体系は「被乗数・乗数」の概念を孕んでいること | メタメタの日

 加法(たし算)を定義する前に乗法(かけ算)を先に定義する数学があることは以前に聞いたことがあり、そういう数学なら、乗法の定義に被乗数・乗数の概念は必須ではないだろうと思っていた。

 しかし私達がよく知っているように、乗法とは、同じ数(m)が複数(n)あって全体の数を求めるときに、m+m+・・・+mと、mをn個足した結果を記した「九九表」を利用して、m(被乗数)のn(乗数)倍を求める同数累加の簡約法だから、被乗数・乗数の概念は乗法に必須だろうと思っていた(註1)。

※(註1) 4+4+4+4=4×4 という、左辺たし算、右辺かけ算の式では、4という数が6つ出てくるが、すべて同じ4というわけではない。単位を付けてみると分かるが、たとえば、4m+4m+4m+4m=4m×4 だから、元の式の4つの4と右辺の1つの4は、4mという量を抽象した4であり、右辺の残り1つの4は倍数(比)を表わす4と分かる。つまり、このかけ算では、4mが被乗数で、4が乗数である。

 

 被乗数・乗数の概念は、歴史上、乗法の誕生において必須だったし、乗法を教えるときに(特に導入段階で)必須であり、数学という学問においては乗法を定義する上で必須だろうと思っていた(註2)。交換法則導入後は、被乗数・乗数は、共に「因数」と呼ぶが、それは、被乗数・乗数という概念が無用になったのではないことは、https://ameblo.jp/metameta7/entry-12570650602.htmlに書いた。

※(註2) たとえばペアノは、1889年の論文「算術原理」では、乗法を以下のように再帰的に定義している。「×」の左のaが被乗数、右のb、(b+1)が乗数となる

 1891年の論文「数の概念について」(共立出版『現代数学の系譜2』小野勝次・梅沢敏郎訳・解説)では、以下のように、同数累加で定義している。4行目位以下は訳者の解説。aが同数(被乗数)、bが累加数(乗数)となる。

  

   というわけで、「かけ算に被乗数・乗数という概念は必須だろう」という発言を「twitter#掛算」でしたところ(註3)、必須ではないという意見が噴出して、アレアレと思っていたら、被乗数・乗数が必須でないことを示すには、被乗数・乗数を使わない定義を一つでも示せばよい、たとえば乗法をアレイ図で定義し、そのドット数をひとつひとつ数えることにすれよいという意見が出てきた。

※(註3) 発言の切っ掛けは、twitterで「「かける数」「かけられる数」という概念自体がナンセンス。ちゃんと理解している人は、「かける数」「かけられる数」を理解しない。」という発言を目にしたことだった。

 

 7行8列のアレイ図を描いて、7と8のペアを数値56と結びつけるのに、56を、

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7+7+7+・・・+7(被乗数が7、乗数が8)あるいは8+8+8+・・・+8(被乗数が8、乗数が7)と同数累加で求めるのではなく、一つ一つ数えるというなら、確かに被乗数・乗数の概念を使わずに乗法を定義できるかと思ったが、「数える」際には、記数はインド・アラビア数字の10進法位取り記数を使うのだろうし、命数は日本では漢数詞(十進法)で口誦するのだろう。

 すると、1(一)、2(二)、……と数えて、9(九)、10(十)までは、確かに「一つ一つ」数えているが、11(十一)、12(十二)となると、足し算の概念を使っているし、19(十九)の次は、110(十十)ではなく、20(二十)、つまり2×10(二つの十)(乗数が二、被乗数が十)と掛け算の概念を使っているし、56(五十六)は「五つの十と六」と、掛け算の概念と足し算の概念を併用している。

 つまり、数えるときに使っている数の表現には被乗数・乗数の概念が使われているのだから、「7と8」から「56」を導出するときに「一つ一つ数えるのだから被乗数・乗数の概念を使わなくても乗法を定義できる」というのは無理だし、掛け算(同数累加)の概念を使っている数を使うのに掛算(同数累加)を使わないで一つ一つ数えるというのも「不自然」な話である。

 それとも、m行n列のアレイ図の積をmnと定義し、mやnに数値を代入しない。数を抽象(捨象)した文字を記号として使うのであって、0や1を使っていたとしても、それらを単なる記号として使う体系なのだ、ということだろうか。