戦前の算術では,なぜ掛け算の順序が問題にならなかったのか。 | メタメタの日
 明治から戦前の小学校・中学校では,かけ算は次のように教えられていました。(用語は必ずしもこの通りではありませんが。)
(1) かけ算の式は,被乗数×乗数=積 と書く。
(2) 被乗数は名数の場合も不名数の場合もあるが,乗数は必ず不名数である。
なぜなら,乗数は被乗数を加え合わす度数(回数)だから。
(不名数とは数字だけの数,名数とは数字に単位を付けた数。)
(3) かけ算の交換法則は不名数同士についてだけ成り立つ。

 したがって,例えば「五銭白銅貨八枚はいく銭か」の答を求める式は,
(ア) 5銭×8=40銭   となります。
 以下の式は間違いとなります。
  (イ) 5銭×8枚=40銭
  (ウ) 8×5銭=40銭
  (エ) 8銭×5=40銭
 その理由は,(イ)(ウ)は,乗数が不名数でないからであり,(エ)は題意にあっていないからです。
 一方,(ア)を不名数の式に変えた次の式は正しい。
  (オ) 5×8=40
  (カ) 8×5=40
 不名数については交換法則が成り立つから,(カ)を間違いとする理由はありません。
 戦前の教科書や解説書には,上記の(イ)(ウ)(エ)のような記述は見当たりません(少なくとも私は見つけられていません)。

 佐藤武『算術新教授法の原理及実際』(大正8年,1919年)の355頁~357頁には次のようにあります。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937844/188
「三.加減乗混合の式の作り方及び計算
例(1)五銭白銅貨を八枚と二十銭銀貨を一枚もっていて,そのうちから五十銭の本をかえばのこりはいく銭か。
   式  5銭×8+20銭-50銭=10銭
 (他の例を省略)
五.更に以上の式をそのまま無名数の式にかえて計算せしむ。
     5×8+20-50=                 
 (後略)    」

 このように名数の式と無名数(不名数)の式の両方を認めています。(明治38年から使用された算術の国定教科書(児童用はなく教師用だけですが)の尋常小学2年21頁~24頁を前アーティクルで紹介しました。)

 明治時代に欧米(19世紀当時)から,かけ算の式は「被乗数×乗数」の順序で書くと教わったとき,日本語の語順(5銭の8枚分,5銭の8倍)から納得しただろうし,被乗数・乗数は交換したって答は同じじゃないかという疑問も,不名数の式については因数をどちらの順序で書いても構わないということで納得したのでしょう。
 少なくとも,現代の小学校のように,8×5=40 と書くと,この世に存在しない8銭銅貨が5枚のことになるから間違いだ,などという難癖は,戦前の学校では付かなかったはずです。

 以上のことを,高木貞治が書いた中学校の算術の教科書で再確認します。
 「一時間に十二里ずつ行く汽車は,四時間に幾里を行くべきか。」という問題を1909年(明治42年)の『広算術教科書』(51,52頁)でも,1911年(明治44年)の『新式算術教科書』(20,21頁)でも,高木は「掛ケ算」の章の最初に載せています。
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/29
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/16
 そして次のように解説します。
「12里を四度加え合わせて,48里を得る。(略)
 十二里(被乗数)に四(乗数)を掛け,積として四十八里を得たるなり。(之を十二里に四時間を掛けたりとは言うべからず)
 乗数は必ず不名数なり。積は被乗数が名数なるときは,また必ず同種の名数なり。
(略)12に4を掛けて48となるということを,次の如く書く。
      12×4=48            」『新式算術教科書』(20,21頁)
    
 つまり,正しいかけ算の式は次の(ア)(イ)(ウ)です。
(ア)12里×4=48里
(イ)12×4=48
(ウ)4×12=48   
(不名数について交換法則が成り立つことは,別の箇所で述べています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/33 『広算術教科書』59頁の※註など。)
そして,以下の式は間違いとなります。
  (エ)4×12里=48里
  (オ)12里×4時間=48里
  (カ)4里×12=48里
間違いの理由は,(エ)と(オ)は「乗数は必ず不名数」に違反しているからであり,(カ)は,題意にあっていないからです。

 このように,高木貞治が,乗数は不名数であり「被乗数×乗数」をかけ算の順序としていることには,現在から見ると,不満があります。(欧米では19世紀から20世紀にかけてかけ算の表式の主流は「被乗数×乗数」から「乗数×被乗数」に移っていくわけですが、これについて高木は注視していただろうと思いますが、未詳。12月20日追補)

 また高木は,「割り算の意味を二通りに区別する必要」(いわゆる包含除と等分除)にも触れていますが,それは「被除数が名数なる場合に限る」と記しています。(『広算術教科書』83頁)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/45
 高木の文中にもある「名数/不名数」(concrete number/abstract number)という概念は,19世紀※西洋の初等数学教育に突然生まれたもののようです。(※初等教育の教科書で一般化したのは19世紀でも,概念自体は16世紀の教科書には生れていて,初等教育で教えられていたということです。:12月21日訂正。)(David Eugene Smith“History of Mathematics”1925,11頁)
https://archive.org/stream/historyofmathema031897mbp#page/n25/mode/2up
 19世紀後半に西洋から数学を輸入した日本は,当然にも当時の西洋のやり方に倣い,高木もそれを採用したのですが,『数学教科書・師範教育(算術及代数)』(1911年,8頁)では,次のように書いています。
「名数に関する計算は不名数の計算に帰着するが故に数学にては不名数のみを取扱うなり。本書にて向後単に数というときには,特別に名数なることを明言せざる限り必ず不名数を指せるものと知るべし。」http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826333/9
数学では名数は取扱わない,と高木は言っています。では,名数を扱うのはどこなのか。「算術」だという含みがあるのでしょう。
 「算術」とは古風な名前ですが,その内容は江戸時代の和算由来のものではなく,基本は西洋のarithmeticであり,arithmeticの訳語として「算術」が明治15年(1882年)に採用されました。(訳語の決定に至る経緯とその問題点については,佐藤英二『近代日本の数学教育』2006年,東京大学出版会,「第一章「算数学」と「算術」――論争とその帰結」) http://hdl.handle.net/2261/710

 戦前の小学校では算術だけが数学として教えられ,中学校では,算術,代数,幾何,三角法の4科が数学として教えられました。
 小学校の算術の中身は,明治24年の「小学校教則大綱」によれば,
「第五条 算術は日常の計算に習熟せしめ兼ねて思想を精密にし傍ら生業上有益なる知識を与ふるを以って要旨とす。(中略)
 初年より漸く度量衡貨幣及時刻の制を授け之を日常の事物に応用して其の計算に習熟せせしむべし。(後略)」
でした。
 中学校の算術については,明治35年の「中学校教授要旨」に「教授上の注意」として,
「(略)四 算術の例題は成るべく生業上適切なるものを選び歩合算その他日用諸算に関する例題を課するには特に注意してその事項を説明すべし
 五 算術を授くる際法則の理由を充分に理会せしめ難き場合に於いては単にその一端を指摘するに止め直ちに法則その物に移りその厳格なる理由の説明は之を代数に譲るべし
(後略)」
とあります。
 このような小学校・中学校の算術の方向を定めたのは,高木貞治の師の藤沢利喜太郎であり,その言によれば「算術に理論なし」でした。(『算術条目及教授法』明治28年,85頁)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/811540/49
(藤沢の主張の意味については,佐藤英二・同上「第三章 藤沢利喜太郎の教育理論の再検討――「算術」と「代数」」http://doi.org/10.11555/kyoiku1932.62.4_348 )
 しかし,このように言いながら藤沢が算術と数学(代数)は全く別のものとは考えていなかったように,弟子の高木もそうは考えていなかったでしょう。同時に,不名数のみを取扱う純粋数学と,数に単位の付いた度量衡貨幣及時刻などの名数を取扱う実用算術との違いも自覚していたでしょう。

 戦前かけ算の順序が問題にならなかったのは,「被乗数×乗数」の順序は算術の話であって,数学の話はまた別だと,学者も世間も思っていたということがあるのでしょう。