助数詞と数教協―遠山啓から遠く離れた数教協 | メタメタの日

  遠山啓が助数詞に対して否定的だったことは、数年前にさつきさんのブログで教えられた。 http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33821691.html

(ちなみに、今、Googleで「助数詞 遠山啓」で検索すると、さつきさんのブログ、私のブログの直前のアーティクル、ブック検索『水道方式入門』(遠山啓、銀林浩)の該当頁、積分定数さんのブログ、黒木玄さんのtwitter発言などが上位に出てくる。)

 

 217日の数教協の全国研究集会で、かけ算の式を

 3/はこ×4はこ=12

と書かせるのを知って、

「遠山啓の権威を借りるわけではないけれど、遠山さんは助数詞を書かせることに否定的だったんですよね」と質問したところ、例のA氏から、

「遠山が何を言っていたかしらないが、遠山だって間違ったことを言っていることもある」などと逆襲されてしまい(権威を利用した発言に対するこの逆襲自体は正しい)、他のベテランの先生方も、遠山の助数詞否定論を知らないか、忘れてしまっているようであった。

 門外漢の私が、数教協創設者の発言を支持し、組織継承者が創設者の発言を無視しているという構図になってしまって、内心アレアレと思いながら空中戦になってしまったところだった。

 いま、振り返るに、現在の数教協の小学校の先生方のかけ算の教え方は次のようになるようだ。(私が参加した分科会だけでなく、他の分科会のレジメも参照した。)

①「1つ分の数」のことを「1あたりの数」という。

② 式を立てる前に、かけわり図をかかせる。

③ 式では、助数詞を付けさせる。(「1あたりの数」は、「/」を使って表わす。) 

 つまり、「1あたりの数」「かけわり図」「助数詞」を使ってかけ算の順序にこだわっていたら数教協である。隠れキリシタンの見分け方を通報しているスパイのようで、隠れスーキョーキョーとしては、ユダかと忸怩たる思いがあるが、数教協の現状がこうなっている以上しようがない。

 遠山啓や森毅を読んで数教協にシンパシーを感じてきたものとしては、①については、確かに遠山も「1あたり」と言っていただろうとは思う。

②の「かけわり図」のような図式については、1979年に亡くなった遠山は知っていたのだろうかという疑問がある。現場の先生方の実践の結果、このような図式でかくのが効果的だったと、遠山も書いていたような記憶もなくはないが、こんな形式的な図式を、遠山が知っていたとしたら何と言っただろうか、という疑問は残る。

 ③の助数詞を付けて式を書くことは、遠山は、上記引用にある1962年の文章で、はっきりと否定していた。その後、助数詞を容認したことがあったとしたら(ないと思うが)、その時の遠山はおかしい。
    

 式に助数詞を付けることがなぜおかしいのか。

① 小1の教科書ですら、次のようになっている。

ブロック1

ブロック2

 引用したのは東京書籍で、ネットではマージャン牌と揶揄されたブロックである。数教協ならタイルを使うところであるが、要は、ウサギだろうが、子どもだろうが、チューリップだろうが、バケツだろうが、数をかぞえるときや加減の計算をするときには、ブロックやタイルに半抽象化して考えさせているのである。すでに半抽象化して数を考えているのに、人とか匹、本、個などと助数詞を付けるのは、半抽象化したものを再び具体物に引き戻すことになる。

② 椅子が5個、子どもが8人、何人の子どもが椅子に座れないか、という求差の問題で、助数詞を付けて、8人-5個=3人 という式にするのはおかしい。853 答3人 と答に助数詞を付ければ良いのである。(既に遠山が言っているが)

③ 助数詞を付けた式は、世界で通用しない。国際単位系で確認された単位を付けた式は世界で通用する。

④ 小2で、分離量を使ってはじめてかけ算を教えるときに、「1あたり数」に「/」パー付き表記をさせるのはわずらわしいし、おおげさだと思う。「いくつ分」にも助数詞を付けさせるというが、「いくつ分」を「倍」ということもあることは、小2の教科書に出てくる。「倍」は、無名数であり、助数詞は不要である。

 小2のかけ算の単元は、数教協的には、かけ算という演算を教えることより、「1あたり量」という概念を教えることの方が重要になってしまっているようで、それは本末転倒だと、隠れスーキョーキョーの私でも思う。