前のアーティクルで,「かける」の語源について,歩合の「七掛け」が,一割の七箇分であることと,「かける」を中国では「乗」ということから,「七を掛ける」を「7箇乗せる」→「かのせる」→「かける」ではないかと推測しましたが,考えを改めます。(中国では,1桁のかけ算を「因」といい,2桁以上のかけ算を「乗」といった。日本でも当初はこの区別があったという事情も考慮する必要がありました。)
先ず,「かける」をかけ算の意味で使っている初出,および「かけ算」という語の初出を調べてみました。
江戸時代初期の『塵劫記』には,銀四貫三百目を利息一割二分で貸したときの「本利合(わせて)四貫八百十六匁」のソロバンでの計算を次のように記しています。
「先(づ) 四貫三百目を右に置(き),左に十一匁二分と置(き),これを右へ掛くれば,本利共に四貫八百十六匁と成申候」(岩波文庫『塵劫記』91頁)
このほか,『塵劫記』には,「○を○へ掛くる」という言い方が頻出しています。
では,『塵劫記』以前はどうなのか。
日本では,『塵劫記』や『割算書』など江戸時代初期の和算書以前には数学(算数も含む)の本は書かれていない。少なくとも書かれたという記録がなく,実際現存していない。したがって,いろいろな文献に出てくる算術についての断片的な記事にあたるしかないのですが,これについては,大矢真一さんの『和算以前』(中公新書,1980年)という名著があります。
同書を見てみると,かけ算の意味での「かける」や「かけ算」という語は見当たりません(見落としの可能性はありますが)。かけ算の計算を記述している文章も,九九をそのまま書いていたり,「ズツ」の語を使っています。同書127頁で引用されている『古文真宝後集抄』には,「春三月(みつき)ニ七十二日デ,四時ニ七十二日ズツ。四七二十八デ,二百八十日ニ,二日ズツ四ヲ添ウレバ二百八十八日ゾ」というように,72×4=(70×4)+(2×4)=280+8の計算を記述しています。
同書で見るに,「かける」や「かけ算」の語の初出は,キリスト教宣教師ロドリゲスの『日本大文典』(1604年)であるようです(現代語訳は,1980年から三省堂から出ています。)
日本の計算法について,ロドリゲスは,次のように書いています。
「日本人の使う計算法の種類は4つの普通のものがある。即ち,
1.置算(Gisan),または,置く算(vocusan)。加算。
2.引き算(Fiquizan),または,引きソロバン(fiqui soroban)。
3.掛け算(Caquezan)。
4.八算(Fassan),または,割り算(varizan)。
(略)
Caquru(掛くる)は数を掛けること。例えば,Icutuni caquru?(いくつに掛くる)。Yotcuni caquru(四つに掛くる),など」
とあります。
この実物をGoogleで見ることができます。
この431頁に“Caquru,Multiplicar.”とあります。(実物で確認すると,やや感動モノです。)
ロドリゲスが記録したこの“Caquru”が文献上の「かくる(掛ける)」の初出かもしれません。それから,『塵劫記』以下の江戸時代の和算書に「掛くる」の語が頻出するようになります。
『日本大文典』の「かけ算」は,「置く算」(加算),「引き算(引きソロバン)」,「割り算」と並んで出てきます。他の演算の名称がソロバンでの計算を前提にした命名であるように,「かくる(掛ける)」「かけ算」もソロバンでの計算方法からきたと考えられます。ソロバンでのかけ算は,ソロバンの左に置いた数(法,乗数)を,右に置いた数(実,被乗数)と見比べて九九を暗誦して,右の数を変形していく操作を繰り返します。左の数は変わらず,それと右の数との九九で,右の数が次々に変わっていく操作は,「植木に水を掛ける」などの「掛ける」行為を類推させ,「○(左)を○(右)へ掛くる」「掛け算」という名前が生まれたのかもしれません。
文献上で見る限り,室町時代までの文献には,「かける(かけ算の意味での)」「かけ算」の語は出てきません(繰り返しますが,見落としの可能性は否定できないのですが)。ということは,ソロバン伝来以前には,「かける」「かけ算」とは言わなかった。「かける」「かけ算」の語は,ソロバンでの操作から生まれたと推測できるのではないでしょうか。