黒木玄さんに褒められた。 | メタメタの日
黒木玄さんのブログ「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」で、褒められた。


==========(引用初め)=================


どこでどのように掛け算の順序にこだわった教育が推奨されているかについては


mixiの算数「かけ算の順序」を考えるコミュニティーにかなりの情報が集積されて


います。同コミュニティの管理人の積分定数さんと副管理人のメタメタさん


の二人はこの件では一目おかれるべき存在だと思います。


==========(引用終り)==================


http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html


 



 というわけで、mixiでのコメントを、以下に転載します。











「純粋な抽象数の場合には、先のかけわり図で「1あたり量」と「いくつ分」の区別などありませんので、それらを除いて右側面から眺めれば、3×2に見えますから、


      2×3=3×2


となって交換法則が成り立つ道理です。」


とは、銀林浩さんが、『算数の本質がわかる授業②かけ算とわり算』(2008年)の第1章「乗除の学び方・教え方『1あたり量×いくつ分=全体量』の射程と問題点」で書いているところです。(すでに23回、あちこちで引用しているので、恐縮ですが。)


 抽象数の場合、「1あたり量」と「いくつ分」の区別などないので、交換法則が成り立つ。小学2年生は、かけ算の単元の最後で、「かけられる数とかける数を入れかえても、答は変わりません」と教わります。


 これがかけ算の「通常の交換法則」でしょう。つまり、「数についての交換法則」です。数については、a×bb×aが成り立つから、どういう順序でかけても良い。数について、と断るのは、量のかけ算については順序がある、という主張が存在するからです。


               *


 小学校の教科書ではこの20数年間は、かけ算とは、


    1つ分の数×いくつ分=全部の数


と、先ず教わります。「1つ分の数」とは「1あたり量」、「いくつ分」とは「いくら分」、「全部の数」とは「全体量」と言った方が正確であり、「量」の考え方で教わるわけです。と言っても、数と量の区別は、大人でもあいまいですし、社会生活上は、それでいっこうに差し支えありません。


教科書では、その後で、


 かけられる数×かける数=全部の数


と教わります。つまり、1つ分の数=かけられる数、いくつ分の数=かける数です。教師用の『教科書指導書』には、そう明記されてあるので、授業ではこう教えているでしょう。 


 そして、かけ算の最後に、「かけられる数とかける数を入れかえても、答は変わりません」と教わるわけですが、「1つ分の数といくつ分を入れかえても、答は変わりません」とは、教えないようです。しかし、そう理解する子どもはいるでしょうし、その理解は間違ってはいない。


 20数年前以上に、小学校でかけ算を教わった世代は、かけ算の式に順序がある、などとは思ってもいません。当時の教科書や指導書を見ると、被乗数×乗数の順序で書くことを教わったはずですが、交換法則を教わった段階で、順序はどっちでもいい、と上書きされたのでしょうし、その理解は別に間違ってはいない。


「通常の交換法則」は数についての法則なのでしょうが、数と量を区別せず、交換法則が成り立つと思っているわけです。


 a×bb×aということは、縦×横=横×縦、単価×個数=個数×単価、速さ×時間=時間×速さ、円周率×直径=直径×円周率、食塩水×濃度=濃度×食塩水、・・・をまとめた法則だと思っている。


 当然、小学校の導入段階で教わる「1つ分の数×いくつ分」という、量のかけ算についても交換法則が成り立つと思っている。次のように理解しているわけです。


(1)「1つ分の数」a×「いくつ分」b=「いくつ分」b×「1つ分の数」a


 これが一般的な理解でしょう。


 したがって、子どもが、かけ算の式の順序が違うから×が付いたテスト用紙を持って変えると、びっくりするのです。「かけ算では交換法則が成り立つ!!」


 ところが小学校では、「1つ分の数×いくつ分」の順序が正しいと教えている。その順序で書かないと、「式の意味」が変わり、×が付く。


 つまり、


(2)「1つ分の数」a×「いくつ分」b≠「1つ分の数」b×「いくつ分」a


 ということです。


 冒頭の銀林さんの文章の直前には、次のようにあります。


「〈1あたり量×いくつ分=全体量(内包量×土台量=全体量)〉の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。そこが単なる数の計算とは異なるところです。」


 3/人×5人≠5/人×3


 8/個×6個≠6/個×8


 上の式の3は「1あたり量」だから「いくつ分」に入れ替えることはできない、というのです。確かに、数量を入れ替えると、左辺の式と右辺の式が表わす状況(事態)が異なってきます。これを指して、銀林さんは、「単なる数の計算とは異な」って、量のかけ算では「交換法則は成り立たない」と主張し、それに追随する先生がいるようです。


 しかし、銀林さんの場合は、この文章の直前には、フォン・ノイマンの「構造-素子」の文章を引用して、人間が現実を認識するとき、まず「いくつ分」が与えられ、それらの個物をめくると素子が現れてくるという「下降(top- down)型」と、まず「1あたり量」が与えられ、それを積算するという「上昇(bottom-up)型」の2つ、認識の順序で書くと「1あたり量×いくつ分」と「いくつ分×1あたり量」の2つがあることを認めたうえで、「本書では『1あたり量×いくつ分』で統一しています」と書いています。


http://ameblo.jp/metameta7/day-20101229.html


つまり、銀林さんは、上記(1)の交換法則を認めるという前提に立って議論を展開されているのですが、この前提抜きに「量のかけ算では交換法則は成り立たない」と主張する追随者がいるようです。


 留保付きではあるが、銀林さんは、量のかけ算でa×bb×aと言っているわけですが、 銀林さんの師にあたる遠山啓さんは、a×bでもb×aでもどっちでもいい、と言っていました。それは、(1)の交換法則を認めるという立場ではなく、どっちの数量も「1あたり量」にできる、というものでした。


(3)「1つ分の数」a×「いくつ分」b=「1つ分の数」b×「いくつ分」a


と定式化できますが、遠山は、これを「量の交換法則」と呼んでいませんし、連続量についてもこれが適用できるとは言っていないはずです。トランプ配りや縦横に配置できる分離量の場合について言っています。単位(助数詞)を付ければ、


  3/人×5人=5/回×3


   4/列×6列=6/行×4


という場合について、a×bでもb×aでもどっちでもいいと言ったはずです。


 しかし、Sparrowhawkさんは、これを一般化して、これが「量のかけ算の交換法則」だと主張しているわけですね。


 もしこの理解が誤解でないとすると、Sparrowhawkさんの主張の独特の位置を確認できると思います。


あと、不思議なのは、(2)が、「交換法則が成り立たないから順序を守って書け」と主張するのは論理的だと思うのですが、(3)の場合、常に交換法則が成り立つわけだから、「順序を守って書け」と主張することは論理的なのか、という疑問があります。6×4と書いてあっても、4×6と書いてあっても、どちらも「1つ分の数×いくつ分」の順序で書かれていると解釈できるわけです。「順序を守って書け」と主張のしようがないと思うわけです。