算数的意味と国語的意味 | メタメタの日

算数的意味と国語的意味というと、先ず思い浮かぶのは分数ですね。

 分数は、算数では3つの意味で使われます。

①単位量1より小さい量を表す「量としての分数」

②割合(分数倍)を表す「割合としての分数」

③割り算の答えを表す「商としての分数」

 指導要領は、もう少し細かく5つに分けていますが。 

 ところが、日常生活の中で使われる分数の国語的意味はほとんど②です。いや、②の割合ですらなく、□に分けたうちの△つ分という「操作」を表すものでしかないことが多い。江戸時代以来、一般庶民は「数としての分数」は知らなかった。明治時代以降、学校の算数教育の中で分数をどう教えるかが大変だったわけです。(現代でも、分数ができない大学生がいると言われるのです。)

昭和4年の日本中等教育数学会の講演の中では、次のように述べられています。

「私たちが最初小学校で学ぶときには、単独に何分の何という分数をいきなり学ばずに、あるものの何分の何、たとえば30の三分の二は何であるかと問うて、それは20であるというふうに学んだ。すなわち、三分の二はこの場合数としての意味はないのであります。前に何々のという主格が無ければ意味をなしません。・・・それがいつのまにか何々のという主格がなくなって、ただの2/3ができました。・・・30の三分の二という場合の三分の二は、分数という一つの数ではなくて、一つの文章を簡単に言ったものに過ぎません。・・・文章としての幾分の幾つに分数という名まえは用いたくないと思います。」

(掛谷宗一「初等数学ノ基礎事項ニ就イテ」(大矢真一『数と量』(1961年)から引用)

 

 戦後、数教協は、分数は先ず「量としての分数」として教えるべきことを主張し、現在はこの教え方になっていると思います。私もそれが妥当だと思うのですが、国語的には、1/3リットルの牛乳と1/2リットルの牛乳を混ぜたら何リットルになるか、などとは絶対に言わないよなぁと、違和感は残りますね。


 で、かけ算です。

 小中学校のかけ算の算数・数学的意味は次の3通りだと思います。

①もとになる数(外延量)×倍(無名数)=比べられる数(外延量)

②1あたり量(内包量)×外延量=外延量

③外延量×外延量=外延量


 ①の「倍」には、整数倍、小数倍、分数倍があり、かけられる外延量と答えの外延量の単位は同じです。かけ算をたし算における同じ数の累加として導入しても、その考え方が通用するのは整数倍まででしょう。

 ②の内包量については、速度、密度、単価などの度的内包量の場合は、かけられる外延量と答えの外延量の単位は違ってきます。しかし、濃度や円周率などの率的内包量の場合は、単位は同じで、かつ、掛ける順番も、直径×円周率とか食塩水×濃度というように、外延量×内包量のように書くのが慣習的です。たぶん、率は倍の発展したような感覚ではないでしょうか。直径の3.14倍が円周である、とか。

 ③m×m=㎡というように、新しい外延量の概念が生み出されます。


 では、かけ算の国語的意味はどうか。

 ほぼ「倍」の意味で使われているのではないでしょうか。もちろん、江戸時代から①だけでなく、③の計算もされています。②にあたる計算もあるが、1あたり量(内包量)という概念はなかったに等しい。速さも量として意識されていても、数値化される形成途上という感じです。

 いま小学2年で、初めてかけ算を教わるとき、

ひとつ分の数×いくつ分=ぜんぶの数

と教わり、その式の順番が目下問題になっているわけですが、これは、②1あたり量(内包量)×外延量=外延量のことだと思って考えてきたし、そこに発展していくものではありますが、国語的には、①の倍の意味で理解されてもおかしくはない。小2の教科書では、かけ算の学習の最後に別の節を設けて、「なんばいかの大きさをもとめるときも、かけ算の式になります。」(東京書籍、35頁)と説明して、②と①の場合をきちんと分けています。

しかし、国語的には、

ひとつ分の数×いくつ分=ぜんぶの数  は、

もとになる数×倍=もとめたい数    という意味が強いでしょうね。

かけ算とは倍である、と。

日本語的には、5の3倍とはいうが、3倍の5とは言わない。言わなかった。英語的には、3倍の5という。翻訳語の影響で、日本語でも3倍の5ということがある。国語的にも3倍の5が許されているときに、算数的には同値の5×3がマルで3×5がバツだと、やはり、どうちて?といわざるをえない。