西向く士 | メタメタの日

 大の月・小の月を区別する「西向く士」が、最近はあまりポピュラーでないらしい。びっくりして、そういえばこの出典は何だろうと、自称「出典大魔王」としては、気になって調べてみたのですが、今のところ見つけられていません。太陽暦採用後の明治時代以降であることは確かだと思うのですが・・・。江戸時代までの太陰暦では、大の月・小の月は一定ではなかったから。

 ただ、見当を付けた福田理軒『算法玉手箱』(明治12年)に、「日暦算」(こういう言葉は使っていませんが)の解法を見つけました。基本的に、しゅう(秀/Shu)さんの6番発言と同じ方法です。(mixi授業の工夫事典!!(塾講師・教師) トピック「日歴(ママ)算について」)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35332570&comm_id=380962&page=all


 日にちの曜日を求める「日暦算」(こんな名前が付いていることも、今回知ったのですが)の本邦初出は、多分福田理軒のこの本でしょう。

 国会図書館の近代デジタルライブラリーで、著者「福田理軒」で検索して『和洋普通算法玉手箱』の13コマ目です。

http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPD120&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=9&tpl_hit_num=9&tpl_toc_word=&tpl_jp_num=40052233&tpl_vol_num=&JP_NUM=40052233&VOL_NUM=00002&KOMA=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=%CA%A1%C5%C4%CD%FD%B8%AE&tpl_s_author_mode=BI&tpl_s_author_oper=AND&tpl_s_published_place=&tpl_s_published_place_mode=ZI&tpl_s_published_place_oper=AND&tpl_s_publisher=&tpl_s_publisher_mode=ZI&tpl_s_publisher_oper=AND&tpl_s

 東北大学和算ポータルでは以下です。

http://www2.library.tohoku.ac.jp/wasan/wsn-imgl.php?id=010619&cls=&km=81




(補遺)思い出した。浅田次郎氏に「西を向く侍」という短編小説がある。(『五郎冶殿御始末』所収。)暦法で幕府の天文方に仕えていた武士が、新政府出仕に待命させられているうち、明治5年12月に突然12月は2日で大晦日とし、翌日は明治6年1月1日として太陽暦採用となった混乱を描いている。商人たちも掛取りで大混乱、太陽暦の大の月・小の月を覚えられないと嘆く老婆に、この武士が「西向く士、というのはいかがでござるか」と提案する。そこには西から来て天下を取った薩長への恨みもこめられている・・・ざっと読み返してみて、いやぁ浅田次郎はすごい、とあらためて思った。暦法など調べるだけでも大変だったろうに、それから見事な小説世界を構築している。

 そして、私は、この『五郎冶殿御始末』で浅田次郎氏にインタビューしたのであった。