国立劇場ではじめて文楽を見た。忠兵衛梅川の悲恋『冥途の飛脚』である。
原作者の近松門左衛門はシェイクスピアに比較されることもあることを、忠兵衛の科白「父二人、母三人、親は五人持つたれども、その恩よりは八右衛門、貴殿の御恩忘れぬ」から、オセロの「イアーゴーほど誠実な男はいない」を連想して、思い出した。しかし、一方のイアーゴーは、その面従腹背ぶりで、『オセロ』の主役はイアーゴーと言われるほどなのに、八右衛門には、そういう人間心理の二重性がなく、友達思いの大店の主人にしか見えない。しかし、八右衛門のカシラは悪役風のカシラのようで、ことばと顔が一致しない感じは残った‥‥。そして、文楽から歌舞伎に改作されたときには、八右衛門は忠兵衛の恋敵となり、単なる憎まれ役になってしまう。(けれど、観劇の後の懇親会で、太夫の豊竹英太夫さんから、「近松の原作は、よく読むと、八右衛門の二重性を描いている」とお聞きして、目を開かれた。)
さらに『オセロ』との比較でいうと、忠兵衛が養子に入った飛脚問屋亀屋の養母は、「亡くなった夫は、鼻紙をびんびん使う者は曲者だと言っていたが、最近の忠兵衛は二枚三枚重ねて鼻をかむ。今日も鼻紙を三折も持って出かけた」と愚痴る。帰ってきた忠兵衛は、留守の間の店の様子を聞きだそうと飯炊き女に惚れた振りを仕掛けると、「嘘おっしゃい、鼻紙三折、廓で結構な鼻をかんでいるくせに。話が聞きたいなら、晩に寝床にいらっしゃい。腰湯して待ってますから」とかわされる。「腰湯」も露骨だが、「鼻紙」も露骨だ。しかし、デズデモーナの「ハンカチーフ」と比べると、その品の無さも、モチーフの無さも、明らかで、世界のシェイクスピア、日本の近松というスケールの違いは否めない。
さて、以下、無粋な算数の考察に入る。
江戸から届いた金を武家屋敷に届けるため、三百両(今の金なら三千万円!)を懐に入れた忠兵衛の足は、いつのまにか廓方向に向かっていた。寄って梅川の顔を見ると、この金を使いたくなる、「おいてくれうか(行くのを止めるか)、行ってのけうか、エイ行きもせいと、一度は思案、二度は無思案(ぶしあん)、三度飛脚、戻れば合わせて六道の、冥途の飛脚と」と、近松の台本にある。
「三度飛脚」とは、毎月二日、十二日、二十二日の三度出発して江戸・大阪を往復した飛脚のことで、三度笠とは、この飛脚がかぶった笠に由来するということを、今回始めて知った。
「一度目は思案して行くのを止めようとしたが、二度目は思案を無くして行ってしまえとなった」の「一度」「二度」に、「三度飛脚」を語呂合わせして、「戻れば合わせて六道の、冥途の飛脚」は、それが封印切りにつながり、六道輪廻の冥途への旅となったということだが、小学館の「日本古典文学全集」の、この部分の註がおかしい。
一度、二度、三度の「合計『六度』を『六道』に言いかける」とあるが、この「一度」「二度」は一度目、二度目という序数(順序数)のはずで、「三度飛脚」の「三度」は基数(集合数)のはずだ。基数同士の足し算には意味があるが、序数同士や基数と序数の足し算には意味はない。一度二度に掛けて「三度飛脚」と言い、三度、大阪から江戸に行った飛脚が「戻れば合わせて」六度になると言って、「六道」に語呂合わせをしているはずだ。
とは言っても、近松やこの当時の人が、基数(集合数)と序数(順序数)の違いをきちんと意識していたとも思えないが。(意識していたら、そういう言葉があったはずだが、それに類した言葉はない。)
小学館の「日本古典文学全集」の註は、算数に関係するところでおかしいところがまだある。
忠兵衛は、梅川の身受けの代金の手付けとして、八右衛門に渡さねばいけない五十両(五百万円)を流用してしまうが、その受け渡しを養母に迫られたため、鬢水入れを紙に包んで、五十両として八右衛門に受け取ってもらう。その後八右衛門は、忠兵衛の廓通いを止めさせようと、廓でそのいきさつをばらし、「この鬢水入れも買えば十八文。いかに相場が安いとて、五十両を二分五厘替え」と言う。金五十両が銀二分五厘と替えられたということだが、この解説の計算が合わない。
「正徳元(1711)年の相場は、金一両が銀八十匁で銭三貫二百文。銭十八文程度の鬢水入で五十両の代わりにされるのは、銀二分五厘の相場になる、という意。」とある。
しかし、銀八十匁が銭三貫二百文のとき、銭十八文は銀四分五厘という計算になるはず。この場合、銭十八文は五百六十円余で、五百万円が五百六十円と替えられたことになる。
幕府の公定相場は、慶長十四年に金一両が銀五十匁で銭四貫文とされたが、元禄頃には、金一両が銀六十匁で銭四貫文となって、銀の相場が下落している。この場合、銭十八文は銀二分七厘(四百五十円)になり、この方がまだ銀二分五厘に近い。解説で挙げている正徳元年の相場が正しいとしても、この年に初演された『冥途の飛脚』で近松は、この相場で計算していたわけではなさそうです。
もう一点。
忠兵衛は、先のように、八右衛門に渡すべき五十両を流用したわけですが、それはいつかはばれるとは思っていなかったようです。
「されども遅うて四、五日中、外の銀も上るはず、如何やうとも仕送つて、一銭一字損かけまじ」
と八右衛門に弁明します。
飛脚問屋亀屋の営業が続いていれば、五十両は他から入るからそれを回し、その回した五十両は、また別から入る金を回せばよい…。無限に部屋があるホテルなら、全室が満室でも、新しい客が来たら、1番の部屋の客を2番に移し、2番の客を3番に移し、…としていけば、1番の部屋が空き、新しい客を泊められるという「無限の数学」の応用です。
忠兵衛にも近松門左衛門にも「無限の数学」の意識はなかったでしょうが、五十両ぐらいは、こうすれば、私用しても相手にビタ一文損を欠けないですむと思ったようです。
江戸時代の帳簿付けでは、こういう会計操作も可能だったのでしょう。
しかし、忠兵衛は、梅川の身請け代金全額を出資するため、三百両の封印を切る。三百両(三千万円)という額になると、五十両の場合のような偽装会計もできなくなる。のみばかりか、この当時、金は「価値」だけを持っていたわけではなく、封印された小判は、その小判でなくてはいけないという「意味」も持っていた。封印切りは、「金高之多少によらず引廻之上 死罪」という規定があり、忠兵衛梅川は、冥途への道行きに出ざるを得なくなる。そして、主人が公金横領の罪を犯した亀屋は取り潰され、養母、飯炊き女含めて何十人もを路頭に迷わすわけです。