教育について(その1)師弟の契約 | メタメタの日

教育について(その1)師弟の契約


先日、テレビで能「柏崎」を見ていたら、「師弟の契約」ということばが出てきて、びっくりした。

「柏崎」は、いわゆる狂女もので、越後の柏崎の武士が所領訴訟で鎌倉滞在中に亡くなり、息子も遁世出奔してしまう。母親が狂女となって息子を探し回り、信濃までたどり着いて、ある寺の内陣に立ち入ったのを咎めた小僧が息子で、二人は対面を果たすという、これだけの話を、えんえんと2時間以上やられたのは、ちょっと退屈ではあった。


師僧の台詞にこうあります。


かように候ふ者は。信濃の国善光寺の住僧にて候。

又こに渡候ふ人は。いづくとも知らず愚僧を頼む

よし仰せ候ふ程に。師弟の契約をなし此ほど出家

させ申して候。さる間毎日如来堂へ従ひ申し候。

今日も又参らばやと思ひ候。


そうか、師弟関係は、契約関係なのか、と思った。


 儒教は、父子・君臣・夫婦・兄弟・朋友の人間関係を「五常」として重要視するが、なぜここに「師弟」が入っていないのかと長い間疑問であったが、五常は生まれながらのゲマインシャフト的なもので、師弟は契約で結ばれるゲゼルシャフト的なものと考えているのか、と納得した。