人間はすべて平等としたときに、それを数値で表すとして、「ゼロ」とするか、「プラス1」とするか、あるいは、「無限大」とするかなどが、考えられます。
ゼロとするのが「絶対的価値観(絶対的平等観)」としてはもっとも徹底していると思われますが、この価値観からは、99人を救おうが、100人を海の底に沈んでもらおうが等値となります。人間などと無関係な「絶対的価値観」ですから、これでいっこうに構わないといえば構わないのですが…、ちょっと俗情と結託したくなる。
で、プラス1として、99人を救おうとする。しかし、生がプラス1、死がゼロということになって、生と死が平等ではなくなり、絶対的価値観からは、逸脱します。また、プラス1を、人間の命1つではなく、すべての生あるものの命1つにまで拡張すれば、蟻2匹>人1人、となります。(ゼロとおく絶対的平等観では、蟻2匹=人1人ですが)
で、生を無限大(死はゼロ)とすると、無限大+無限大=無限大だから、蟻2匹=人1人で、しかも99人の命を救うこともできる。
確かに、人間の価値をプラス(人間は救われる、悟れる、いや既に救われている、悟っている)とする仏教の価値観では、そのプラスの値を1ではなく、無限大としているものもあるようです。
たとえば華厳経では、「一微塵の中に全世界を映し、一瞬の中にも永遠を含むという、一即一切・一切即一の世界観を展開している」(『新・仏教辞典』誠信書房1963年)といいます。部分が全体と一対一対応する無限大として、人間存在(だけでなくすべての存在について、そう言うようですが)をとらえるわけです。(ただ、これは梵我一如を説いた、仏教以前のバラモン教が仏教の中に混入したものではないかと思ってしまうのですが…)