ドゥオーモ、ドゥオーモ@イタリア | メタメタの日

イタリアで始めて見た教会は、ミラノ大聖堂だった。

ゴシック様式の内部を見、屋根を一周して百数十の尖塔一本一本の上に聖人一人一人が立っているのに感心した。そして、権力の嫌らしさが感じられなかったことにちょっと驚いた。


宗教建造物に国家権力の嫌らしさを感じたことがあった。

日光とタイのバンコクでだった。

バンコクの王宮の敷地内に、エメラルド寺院や黄金の仏塔などの寺院や宮殿がひしめき合っているのを見たとき、あぁ日光と同じだと思った。

日光では、狭い境内に東照宮・輪王寺・二荒山神社がひしめき合っていた。

東照宮は17世紀前半に、エメラルド寺院は18世紀後半に、共に戦乱を勝ち抜いたばかりの政治権力(徳川幕府とチャクリー王朝)が、自らの正統性を宗教的権威で荘厳するために建立されたのだろうが、国家権力のいやらしさが建物のケバサから発散していて、辟易した。


イタリアの教会堂(聖堂)は、ミラノの大聖堂(ドゥオーモ)、フィレンツェの大聖堂やサンタ・クローチェ教会、そしてローマの大小いくつもの教会を訪れたのだが、いずれも権力の嫌らしさを感ずることはなかった。


ミラノ大聖堂もフィレンツェ大聖堂も、街の中心に建っている。建立当時に街の中心だっただけでなく、現在も街の中心である。しかも大聖堂を囲む敷地はなく、広場や道路に直接むきだしに接している。敷地がないから大聖堂を囲む壁もない。壁は都市を建設した時に都市の周囲に張り巡らされたのであり、城壁の内部が市民たちの自治権力による自由都市ということになる。


60年代後半、学生運動華やかなりし頃、羽仁五郎の『都市の論理』がベストセラーになったことがあった。学生(わたし)達が目指した大学自治を、ルネサンス期の都市国家の市民自治に擬したものだったようだが、私はちょっと読んで、放談形式のヨタ話のように感じて投げ出してしまったことを、ちょっとしまったと、今回イタリアに行って思った。


ともあれ、大聖堂が都市の中心に位置するということは、市民の精神の中心でもあったということだろう。自由都市の自治権力を象徴する大聖堂からは権力の嫌らしさが感じられなかったのだ。


市民は、聖堂の周りの道路や広場から、扉を一枚開けるだけで聖堂の中に入っていける。中は、柱が列状に立つだけのがらんどうの空間である。入口と真向こうの壁には十字架のイエス像がある。壁一枚の外からの光がステンドグラスを通して射し込んでいるが、外の通りのざわめきは、石の壁に遮断されて聞こえてこない。

扉一枚で一瞬の内に俗界から聖界に身を置くことになる。


日本の神社仏閣ではこうはいかない。

寺社の大半は山域にある。街から寺社にたどり着くまでの参道や石段が俗界の穢れを落とすという趣向のようである。街の近くにある寺社では、境内は壁で囲まれ、門を入ってから本堂(本殿)まで数十歩の距離がある。本堂の下では下足を脱がなければならない。本堂の階段を登ると回廊が囲っている。戸や障子の向こうに薄暗い本堂の内部が見えるが、御本尊は眼が暗さに慣れてもはっきり見えないこともあるし、秘仏として閉ざされた厨子の中に鎮座していることもある。


キリスト教の場合、磔刑のイエス像は、そこをクリックすれば神の世界に通ずるスペース(空欄)として尊重されることはあっても、仏教の御本尊のように物神崇拝されることはないだろう。

一神教のキリスト教では、神像はイエス像以外には表現されていない。しかし、仏教の仏像は、釈迦像以外に、阿弥陀如来像、大日如来像、弥勒菩薩像、観音菩薩像など種々が作られ、しかも、仏像自身が御本尊として信仰の対象ともなっている。


その御本尊を目にするまでの仏教の煩雑さと、キリスト教の教会内に入れる簡便さの違いは、人間の心に対するイメージの違いではないのだろうか。

壁一枚で外界と接し、扉一枚で神の世界となる教会を、人間存在の比喩でもあると見れば、人間は皮膚一枚で世間と接し相渉っているが、皮膚の内側の心は神の領域である。そして教会の内部ががらんどうの空間であったように、心の内部は、階層化も構造化もされていない。心は神が遍在する一様な空間である。心が悪魔に誘惑されることはあっても、心の中に悪魔が住んでいるという観念はなかったのではないだろうか。(このあたり、多少ヨタ話っぽいが・・・)

キリスト教では、心は、仏教の唯識思想が説いたような、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五識、意識、末那識、阿頼耶識というように構造化されてはいない。西洋思想の流れでは、心の内部を空間的に構造化することは、フロイトの精神分析まで無かったのではないだろうか。(ヘーゲルの『精神現象学』は、心の遍歴を時間的に記述したのではないだろうか、とヨタ話は続く・・・)


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さて、というわけで、ミラノやフィレツェの大聖堂に権力の嫌らしさを感ずることはなかったのだが、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に思いっきり権力の腐臭を感じてしまった。

サン・ピエトロ大聖堂は、道路から扉一枚で内部に入れるということにはならない。門を入り、大広場を通り、階段を登り、ようやく大聖堂の大扉に至る。が、大扉を開けて、というわけにはいかない。大扉は大きすぎて、人一人の力で開け閉めできるわけではない。中に入れる時は、大扉が開いているときだ。

中に入ると、大仰な装飾が威圧的に迫ってくる。日光東照宮やエメラルド寺院の比ではない。世界のカソリックの大本山だぞ、どうだ、という感じである。

凄いことは凄いが、これでは、イエスが対峙したローマ帝国以上の帝国権力を、イエスの後継者を自称する者どもが作り上げたことになったとしか思えない。

大聖堂内部は、壁で空間的に仕切られてはいないが、巨大な柱が何本も立つことで区分けされていて、全体を見通すことができない。教会内部が人間の心の比喩なら、心は神の眼から隠れた部分を持つことが可能になったかのようである。

巨大な柱の側面には歴代法王の彫像が下を見下ろしている。最初に目にした法王は下品な顔をしていた。

世界に拡がるカソリック世界の権力闘争を勝ち抜いてトップに君臨したのだから、歴代の法王が只者でないことは確かだろう。また、イデオロギー組織では、権力闘争は理論闘争をともなうから、権力闘争抜きの空疎な論争でもなく、理論闘争抜きの単なる権力争いでもない、最高の人間芸術と称される政治闘争の勝利者がこの法王達なのだろうが、それにしても下品な顔だった。


私の数少ない能力の内、いささか自負するところがあるのは、人を見る能力なので、歴代の法王像を見上げながら、こいつは威張り屋、こいつは陰険、こいつは偽善者などと、見下した評価をしていった。


ともあれ、キリスト教について大いに認識をあらためた、ミラノ・フィレンツェ・ローマの旅であった。

特にローマはクリスマス当日と前夜だったので、地図に名も無い小さな教会も中に入れて、十数人の信者を前にミサが行なわれているのを見ることができた。