スナッキーで踊ろう | おネギさんの温故知新 「俺の山河は美しいかと」

スナッキーで踊ろう

「スナッキーで踊ろう」とは、1968年にプリマハムの新製品「スナッキー」発売に先駆けて発表された、海道はじめによる歌謡曲のシングル盤レコードである。

作詞は三浦康照、作曲は船村徹。




これが問題の「スナッキーで踊ろう」である。まずは、お聞き頂きたい。

https://youtu.be/sXv5xa5jMiM?si=jCYB7ArxYlSD8tqd


風呂場でもここまで響かない、と言う程に異常に強くかけられたエコー。

そして歌い出しは「おおぉおおぉおぉぉ」と言う重厚な雄叫び、さらには高音の「あぁあああぁぁぁ」で畳み掛ける。

そのあまりのインパクトから「地底からの地響き」「地底人の侵略」「地獄谷の咆哮」と称される。

「せんなか~~~あーわせてーおんどろぉぉおよぉぉ~ぉほぉおおおお~」と言う、1~3番全てに入ったフレーズは「ケルベロスの遠吠え」の如し。


船村徹のライバル・遠藤実が「こまっちゃうナ」(山本リンダ)を当てていた事もあり、ゴーゴー・ソングとして作曲された。船村曰くあの不思議な旋律は「心に宿った破壊への衝動」とのことである。


後述するように「スナッキー」という商品そのもののセールスは全く振るわず、忘れられた楽曲と化していた…が、1980年代後半になってラジオ番組「コサキンDEワァオ!」(TBSラジオ)や赤坂泰彦の「ミリオンナイツ」(TOKYO FM)などの深夜ラジオで発掘され、「コサキンラジオ」では歌を担当した海道はじめを「スナッキーおじさん」として追跡した事もある。また、「ミリオンナイツ」では「地獄谷からの一人GS(グループ・サウンズ)」としてリスナーの間での定番となっていた。

ラジオの影響でじわじわと知名度を伸ばし、1994年にはNHKの(真面目な文化情報番組である)『ナイトジャーナル』で「謎の歌謡曲」として取り上げられ、制作秘話まで取材された。2021年には『天然素材NHK』という特別番組でこの回が特集されている。


2000年代以降は今でいう「電波ソング」のはしりとして、インターネットの普及も相まってコアな音楽マニア以外にも知られる存在となっていたが、2022年9月NHKの『レギュラー番組への道』という枠の一コーナーとして放送された「1オクターブ上の音楽」にて取り上げられたことでまた話題になった。番組では「本家」である歌手・海道はじめと、当時「スナッキーガール」としてコーラス・バックダンサーを務めていた女優・吉沢京子が登場し、歌唱とダンスを披露した。


スナッキーはプリマハムが1968年に発売した、そのまま火にかけられるレトルト・パッケージ入りのソーセージで、若者をターゲットとしていた。

しかしコンビニどころかスーパーマーケットすら少ない時代であり、街の肉屋で主に販売されていたが、若者はあまり近寄らないこともあって知名度が伸びず、販売は不調に終わった。


1968年当時、レコードには「本盤」と「PR盤」の二種類があり、CMソング(コマソン)はPR盤に含まれる。PR盤はいわゆる販路限定品で全国販売ができず、通常の歌番組などでも流すことができなかった。また、テレビCMなども新商品ということで予算の都合上難しかったのであろう。プリマハムが編み出した広告戦略は、この(禍々しい)曲を、CMソングではない一般の楽曲として製品に先駆けてリリースし、「スナッキー」を「アメリカから来た新しいリズム!」(※完全なるでっち上げ)と銘打って流行させ、若者たちに「スナッキー」という単語を刷り込ませよう!という、ほとんどステルスマーケティングの域のものであった。


社員たちは日々せっせとラジオにリクエストの葉書を書かされていたが、露骨な宣伝が控えられていた時代。社では「絶対にプリマハムとは書くな」という掟があったという。

さらにプロモーションとして、全国で「スナッキー大会」なるイベントが開催されていたらしく、レコードにもダンスの振り付けが記されている。


レコードジャケットの写真では、海道はチェックのネクタイを手前にかざしている。スナッキーのパッケージもチェック柄で、若者はそれを見て思い出すはず…という算段であったらしいが、それはもはやサブリミナルである。


タイアップの一種とも言えるが、基となる商品の「スナッキー」の存在は発売まで徹底的に隠されており、その宣伝効果は正直なところ高かったとは言い難い。

さらに同年には『帰ってきたヨッパライ』の大ヒットがあり、楽曲そのものの(コミックソングとしての)人気も伸びなかったことも失敗の要因ではないか、ということが『ナイトジャーナル』にて触れられている。


現代ほど「仕込み」や新しいメディアであるテレビ、レコードの活用による広告戦略、マーケティングの手法が確立していなかった時代の試行錯誤の一つともいえ、興味深い事でもある。