反出生主義に関してネットにあふれている意見をざっと読んでみたところ、感情的に否定しているだけの鳴き声だったり、そもそも反出生主義の定義を理解していなかったり、「子供をつくれないやつが嫉妬しているだけ」といった決めつけであったりとどうもきちんとした議論がなされていない印象です。
反出生主義に対する反論は非常に難しく、大学で哲学を修めた知識人であってもこれだ!というみんなを納得させるような結論を導けていないのが現状です(いるならだれか教えてください)。
今回は私が重い腰をあげて、反出生主義について批判を加えてみようと思います。私は教養人でもなければ専門家でもありませんが、旧Twitter(現X)で賛成反対問わず顔真っ赤にして学級裁判にも劣る意見をぶつけ合いをしているモンキーどもよりはマシな存在だと自認しております。
なお、私は例のデイヴィット・ベネター著『生まれてこないほうが良かった』しか反出生主義に関する本を読んだことがないため、記述に多少の偏りがあると思いますが、ご了承ください。
まず、反出生主義について定義を確認しておきましょう。私の認識では「すべての生命(当然、人間を含む)は存在するよりも存在しないほうが利点が大きいため、この世に生まれてくるべきではない」と考えております。
これについて補足すると、
①生命が存在する(生まれてしまった)場合
生きる過程で苦痛を味わう"悪い"要素と快楽を味わう"良い"要素が共存している状態となります。とんでもないマイナスの人生もあればすごいプラスの人生も考えられます。
②生命が存在しない(生まれなかった)場合
こちらは苦痛を味わうことがない"良い"要素と快楽がない"悪くはない"要素が共存している状態となります。この場合、マイナスとなるケースが存在しないことにご留意ください。
ここで疑問が上がります。②でいうところの快楽がない状態は"悪い"要素ではないか?ということです。当然、そんなことは著者もお見通しで病気と健康の例えでこの意見に反論しています。つまり、①'病気にかかった人が回復するすることは"良い"要素で、②'そもそも病気にかかっていない状態は"悪くはない"要素であると考えると①と②の関係もわかりやすくなるのではないかという話ですが、これはちょっと苦しいかなと思います。①における苦痛と快楽は病気とその回復という関係と対応しているわけではないからです。
しかし、無人島の例えには反対することが難しいです。これは①'無人島でバカンスを楽しんでいる人="良い"状態ではあるが、②'それを遠くから眺めている人には快楽がないけど、かといって"悪くはない"状態であるという話です。こっちは分かりやすい例えですね。
さて、ここからが反出生主義の真髄です。一見すると①と②を比較して、①幸せな人生を100%送れると仮定するならば、絶対生まれたほうが得じゃないかとつい考えてしまいそうになりますが、①の定義には誤りがあるというのです。
簡単に言うと、①について快楽を味わうということは"良い"要素とされているが、それって今生きている人間の尺度にすぎないよね?、②そもそも不存在の視点から見れば快楽を味わうということに一体何のメリットがあるんだい?という話です。こうなると、今生きている人間の狭い解釈で快楽を味わう="良い"と決めつけるのは誤りで、快楽を味わう="悪くはない"となってきます。
そうなった場合①と②を比較すると、
①苦痛を味わう"悪い"要素+快楽を味わう"悪くはない"要素=(-n+0)
②苦痛を味わうことがない"良い"要素+快楽がない"悪くはない"要素=(n+0)
ここで導き出される結論が本のタイトルとなっております、『生まれてこないほうが良かった』と。
パッと見、パーフェクトな結論であり、感情でしか言い返すことができない旧Twitter(現X)に生息しているモンキーどもにはかなり荷が重い内容となっております。
私はこの内容に理性的な反論を行い、自分が人間であると証明できるのでしょうか?
まず、『生まれてこないほうが良かった』内に登場する"悪い"、"良い"、"悪くはない"の3点セットですが、このあたりの裁量は各個人によって異なるため一般的に定量化不可能であり、そもそも議論で用いるのは不適切です。
例えば、価値転倒しているハードコアな宗教人にとって人生における苦痛は"良い"要素と受け取られることがあるでしょうし、何らかの障害で外界を認知することができない人間は苦痛を苦痛と認識できず"悪い"要素が分からないということもあるでしょう。
そもそも、子供をつくることでその子供自身に苦痛を味あわせることの何がいけないのでしょうか?生命というものは欲望に動かされる存在であり、その欲求に抗うことは大変難しいです。親が自分の自己顕示欲や自尊心を満たすために、着せ替え操り人形として子供を作ることを一体だれが咎められましょうか?
反出生主義にはこの地球上に存在する苦痛や悲しみの総和を減らしたいという慈しみの心がありますが、それは宇宙規模の視点で見るとまるで無意味です。太陽系第三惑星の地上で多くの命がひしめき合い、互いに搾取と掠奪と繰り返すこの世の地獄みたいな光景が繰り広げられていたとしても、宇宙の運行には何の影響もありません。
また、反出生主義者は自己矛盾に陥っています。新たな命を増やさないことで苦痛を減らすとはいっても、反出生主義者が社会で生活を送る過程でそこには絶対、苦しみがうまれます。反出生主義者が働くオフィスで清掃員は自尊心を傷つけられ、反出生主義者が食事するレストランの厨房は立ち仕事で疲労困憊、反出生主義者が買い物するスーパーでは店長が7連勤務の長時間労働といった具合にこの社会は名も知らぬ誰かの犠牲の上に成り立っており、人間はいきているだけで地上に苦しみを生み出す機械なのです。
だから、反出生主義者よ!
あなたは気を遣う必要はない。
どうせ他人を踏みにじって生きているんだから、子供を2,3人作ったところで誤差です。
もっと自由に、ありのままの欲望を大切にして生きたらいいのではないでしょうか?