11月2日、3日お天気にも恵まれて
かけがえのない貴重な経験をさせていただきました。
一日目の絵画奉納式典は相馬太田神社、佐藤光日古権禰宜様の
最上級のおもてなしを受けて厳かに執り行われました。
東京でも出来る支援を考えて震災以降毎年、
相馬野馬追のポスター貼りをして応援してきたことがきっかけとなり、
個展を開いていた仏人画家マークエステル氏に出会いました。
マークエステル氏が描く、復興への祈りのこもった鎮魂の絵画が
11月2日、被災した南相馬市相馬太田神社へ納められました。
このことは、読売新聞、朝日新聞、福島民報、福島民友、河北新報など
多くのメディアの方々が報道して下さいました。
マーク氏が絵画を相馬のために描いて、神社に奉納したいという
言葉をきっかけとして、企画したのが、今回のバスツアーでした。
これは、マーク氏の絵画奉納式典参列に加え、マーク氏への感謝と、
南相馬市、相馬市、相馬野馬追のことを知っていただくための企画でした。
その頃、NPO法人ETICを通して知り合った、女子の暮らしの研究所
のバスツアー企画「これからの福島を考える」Re:Tripに出会いました。
JTBに企画と実施を依頼し女子暮らしの研究所との協働が始まりました。
女子の暮らしの研究所と連携したことにより、福島で住む目線から発信する企画が加わり、
バスツアーにNHKクローズアップ現代、TBS Nスタ、ドキュメンタリー映画撮影
(小さき声のカノン、鎌仲ひとみ監督)が予定され、バスに同行なさいました。
ふたたび、バスツアーに話を戻しますが、絵画奉納式典後、
高橋さん、久米さん、小幡さん、只野さんの、4名の方々にお話を伺いました。
報徳庵にて、
NPO法人 相馬はらがま朝市クラブの高橋永真代表
NPO法人 浮舟の里 久米静香代表
夕鶴にて夕飯後に
走馬会 小幡広宣様
走馬会 只野俊晴様です。
この4名の方がそれぞれに違ったテーマでお話して下さったのですが、
なぜか、共通点として一致していることがありました。
それは、苦しい過酷な状況にあっても、理不尽な状況に置かれても
恨みからは何も生まれないとし、それより現実を変えていくこと、
そして未来を切り開こうと一生懸命に
周りの方たちと頑張っているところです。
感動しました!すすり泣きも聞かれました。
映画監督 鎌仲ひとみさんからの深い質問もあり、
バスツアーの参加者からも親身な質問も出されました。
一方通行ではない質疑応答もより深く現状を掘り下げていきました。
その地に住んでいたらどうするかを真剣に考えて下さっている
参加者の方々と一緒にその場にいる一体感に包まれました。
語り部のみなさんの活動を今後、折に付け、face bookなどで
紹介させて頂きたいと思います。

翌日は女子暮らしの研究所のツアーガイドにバトンをゆだね、
南相馬市の小高区について語り部役を担ってくださった
島尾さんにお話を伺いながら、小高区を視察させてもらいました。
通行の解除が解かれたばかりの小高区は、
車がくしゃくしゃになったまま放置されていました。
大きな動物や、ネズミなどの被害で家が汚染されていても、
住むことを許されていない地域なので、
それを見ていてもなすべがない地域の声を聞きました。
冷蔵庫は2年半の放置により、中の繁殖したカビや、悪臭のため、
戸をあけられない状況のまま放置されていました。
家があったところに草が生い茂り、殺伐としている風景は、
戦争が起こったかのような何ともいえないうら寂しさを感じました。
多くの方々が津波に流されたところであることを思い、
心がふさがるように重くなりました。
亡くなった方も苦しんで、いま生きて残った方々も
どれだけ御苦労されていることか、・・・
解決の見えない放射能汚染は、汚染水もれの問題など、
身近に直接に健康や生活に関わってしまうこととして
隣り合わせにあり、いつも心から離れず、常に、悩まされ
どれだけ、心配しこころをうち砕かれていることか、・・・。
悔しい気持ち、どれほど泣いても解決しない憤り・・・。
放射能が依然高く、帰りたくても帰れない方のことや、
仕事がなく、生きがいを失い途方に暮れている人たち
を自分事として考え、身近に思うことが出来たろうか、・・・
深く反省しました。
このバス旅行が終わったら、どれだけほっとするだろうと
思っていました。
けれども、帰ってきてほっとするどころか、はじめて味わった
放射能の恐怖のダメージで、心が重くなり, こわくなりました。
現実に向き合うのは本当に辛いことですが、
福島の放射能汚染は、もはや、福島だけの問題ではなく、
この問題を抜きに幸せにはなれないことを強く思います。
大概の方には、関係のない他人事のように扱われて
しまうことかもしれませんが、2年半が過ぎた今でも、
何も解決されずに放置された地域の方が、現実と向き合い、
涙をこぼしながら、人には涙を見せず奮闘している人たちが
いることを知っていなければならないと思います。
自分の出来ることで、いかに応援を続けていくかを
思いました。
そして、バスツアーを続けていくという結論を出しました。
