★まとめ★
・共通の言語は「共通ということにしておこう」だった
たとえば、
誰かが言ったことの解釈において
聞き手が「こういうコトが言いたいんだね」と解釈したことに対して、
元の話し手が
「あなたの解釈は間違っている」とは言えない。
なぜ言えないか?
話し手が言いたい事を
それと寸分違わず一切の淀みなく
言葉に換えることが、極めて困難であることが1つ目の理由。
そこへ、聞き手はそれを
自分の知見の範囲
(聞いたことがある、読んだことがある、等の経験において
その言葉の意味、言葉の使われ方を自分の中で知っている)で、
「独自に解釈」するしかないわけだから
当然その解釈は
聞き手に委ねる以外にない。
これが2つ目の理由。
だから、
人間同士お互いの解釈相違はあって当たり前。
私達は、
共通の言語を用いてコミュニケーションを取っているようで、
実は共通なわけではない。
およそ「共通ということにしておこう」と
いう風になっているだけ。
それでも意味が通じるのは
同じような意味で使う経験をそれぞれがしたということ。
寝る前に「おやすみ」と言うのを
それぞれのお母さんやお父さんから教わった、とかいう具合に。
解釈の相違は当たり前だとわかれば
たとえばその食い違いで悩むことは
けっこう無駄と思えないだろうか。
違ったなら、伝えることを諦めなければ
おおよそ理解し合えるだろう。
けれど感情的な反応は
解決を導くことはない。