誕生日。死ぬために生きている。 | 自分が変わる&年収も上がる・リーダーシップ戦略
生きていれば、毎年やってくる「誕生日」

誕生日を迎える人にとったら特別な日で、

なぜ特別かっていうと、
みんなに「おめでとう」と言われるから。

1年でこの日だけは、
とくに何も成し遂げていなくても
無条件に「おめでとう」と言ってもらえるし、

自分の存在が認められる日だから、特別なのだ。


毎日生きていて、
自分の存在を無条件に承認される日は他にない。


何のために生きているのか?


この問いに、私たちはとても興味があるし
自分にとっての生きる理由を見つけたいし、
その結果、希望を持って明日からも生きたいと思う。


でも、身もフタもないかもしれないけど

何のために生きているのか?の答えは単純明快。


死ぬために生きている。


生きれば必ず死ぬ。


他の何を
劇的に上手に避けまくって通ったとしても
死ぬことだけは避けられない。

未来に、死なない技術が
開発されるかもしれないけど

そうすると生態系的によくないだろうから
地球の外に出られる準備も整ってないといけなだろうから
実現されるかわからないし、
今はどうでもいいことにする。

生まれたが最後、死ぬしかない。

「死」という概念については
さまざまな捉え方をした哲学者たちがいたが、
死を最大の「快楽」ととらえた哲学者がいる。


ジョルジュ・バタイユ


死は誰しもたったの一度しか経験できず
ためしにチョット死んでみることもできず

他人の死を通じて死を想像することができたとしても自分のものにはならない。


ただの1度だけ、
人生の最後に用意されている死。


人間は快楽(喜び)を求める生き物で、
その欲求は満たされ切ることはなく、ずっとずっと求め続けて生きてゆく。

ということは

最後に用意されているものこそ、
必ずそこに辿り着き、そのために産まれてきた
そのものこそ、究極の快楽の正体。


私たちが生きる世界は、
「二項対立」で出来ているので、
(善vs悪、明vs暗、問題vs答えなど、2つペアの概念)

どちらか一方が突きつめられれば、
その反対にあるもう一方も突きつめられる。


生vs死


真剣に生きれば生きるほど、死が輝き、
その快楽はサイコウのモノになる。


死ぬことを恐れて背を向けるのではなく
どうせ死ぬんだと諦めることなく


生きることを輝かせよう。



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