#0161
35年間の経験と実績で
あなたのために
あなたの住まいを
全力サポートする工務店
リビングパートナーの
伊藤雄二です
今日もよろしくお願いします
はじめまして!
株式会社リビングパートナー
代表取締役の伊藤雄二です
初めてお会いするあなたへ
私がどんな仕事してきて
どんな考えて仕事に向き合っているのか
私のこれまでの人生と
家づくりにかける気持ちを
お伝えしたいと思います
普段はなかなかお話しする機会のない
私のちょっとした半生や仕事への考え方
そして「リビングパートナー」という
会社に込めた願いなど
お話しさせいただきます
少し長くなりますが
お茶でも飲みながら
お付き合い
いただけたら嬉しいです
どうぞよろしくお願いいたします!
夢のレールから
まさかの脱線
1965年
私は埼玉県大宮市で生まれました
幼少期は福島県郡山市でのびのびと過ごし
中学二年生の時に親の転勤で石川県金沢市へ
ここ金沢での高校生活は
私にとって多くの学びと出会いを
もたらしてくれました
1984年3月
金沢向陽高校を卒業し
社会人としての歩みを始めます
実は
幼い時から私にはずっと
温めていた夢がありました
それは「特急列車の車掌さん」になること
当時の花形特急で仕事をされてた
白いスーツを着た車掌さんの颯爽とした姿
そしてお客様を目的地へ安全に送り届ける責任感
【イメージ写真】
そんな車掌さんの姿に
幼い私は深く憧れていました
国鉄の採用試験を受ける日を
心待ちにしていましたが
残念ながら国鉄の民営化という
大きな時代の流れに直面し
その年から採用がなくなってしまう
という現実を突きつけられました
私の夢の列車は
発車する前にまさかの脱線です(笑)
それでも
せめて鉄道に関わる仕事に
就きたいという思いは強く
鉄道郵便局の職員を目指し
郵政事務の試験に挑戦し
無事に合格することができました
【鉄道郵便車】
「これで少しは夢に近づけたかな」と
胸を膨らませていた矢先
今度は「鉄道郵便の廃止」という
知らせが届きました
2度目の脱線です
1984年3月、私は金沢南郵便局に
採用となりました
郵便の内務事務や窓口業務を5年間担当し
その後、総務課で給与担当として2
年6か月働かせていただきました
毎日、決まった業務を
滞りなくこなす日々でしたが
次第に私の心の中に
「本当にこのままで良いのだろうか?」という
疑問が芽生え始めました
もっと自分の実力を
試せる場所があるのではないか
もっと大きな目標に挑戦したい
そんな思いが募り
24歳を迎える1990年
私は思い切って
実力と実績が問われる
ハウスメーカーの営業職へと
転職しました
採用面接の際
当時のオーナーからいただいた言葉が
今も私の胸に深く刻まれています
「この会社の机、ソファー、絨毯、
そして社員の給料、そのすべては
お客様からいただいたものなのだよ」
この言葉に私は深く感銘を受け
「ここでなら、お客様のために尽くせる」と
この会社に生涯を捧げる覚悟を決めました
しかし
安定した郵便局での仕事とは全く異なり
営業の基礎すら知らない私にとって
そこはまさに試練の連続でした
当時
入社から3か月以内に実績を
残せなければ退職という
暗黙の了解があった中で
私は異例の「入社6ヶ月契約なし」という
ある意味“珍記録”を達成してしまいました
この時は本当に焦りましたが
この経験があったからこそ
後にお客様への感謝の気持ちを
より強く持てるようになったのだと
今では感じています
「売る」だけじゃない!
私が求めた家づくりの本質
ハウスメーカーの営業として
私はまさかの
「入社6ヶ月契約なし」という
珍記録からスタートを切りました
正直、この時は本当に
「どうしよう…」と焦るばかりでした
しかし
幸いにも素晴らしい上司に恵まれ
営業のいろはを一から学ぶことができました
お客様との向き合い方
ニーズの引き出し方
そして信頼関係の築き方など
実践を通して多くのことを
教えていただきました
その結果
私は徐々に成績を伸ばし始め
メーカー表彰やチーム表彰など
優秀な成績を収める営業の仲間入りを
果たすことができたのです
順調な業績は
とても喜ばしいことでしたが
一方で
私の心の中には新たな疑問が
芽生え始めていました
「販売棟数が多ければ
それが優秀な
住宅営業なのだろうか?」
目の前のお客様のために
本当に心から寄り添った
ご提案ができているのかという
問いが常に私の頭の中を巡り
悶々とした日々を
過ごすようになりました
売ることに注力するあまり
お客様の真の「いい暮らし」を
見落としてしまっているのではないかという
漠然とした不安が拭えなかったのです
そんな葛藤を抱えていた最中
私は社内の派閥闘争に
巻き込まれてしまいました
お客様のために
全力を尽くしたいという
私の思いとは裏腹に
社内の人間関係に
振り回される現実に直面し
志半ばでそのハウスメーカーを
退職するという決断を
せざるを得ませんでした
2000年
34歳になっていた私は
ハウスメーカー時代に
お世話になっていた業者さんのご紹介で
地元の工務店に「営業コンサルタント」として
転職することになりました
しかし
私が期待していた「コンサルタント」
としての役割とは異なり
工務店の社長さんは私を
「バリバリの営業マン」として
認識していたようで
結局、住宅営業として
現場に立つことになりました
それでも
ハウスメーカー時代に
培った営業力はここでも
大いに役立ちました
これまで年に1棟程度しか
受注していなかった注文住宅を
年間7棟まで伸ばすことができたんです
しかし
この工務店にもまた
お客様への向き合い方に
疑問を感じる出来事がありました
この工務店は「クレームゼロの工務店」と
聞いていたにもかかわらず
実際には引き渡しの際に
追加工事などでお客様との
トラブルが頻発していることが
わかったのです
それは
お客様が
「クレームすら言いたくない」ような
諦めのような関係性だったのです
幸いなことに
私自身が担当したお客様については
トラブルもなく
今でも良好な関係を
築かせていただいていますが
会社の顧客への根本的な姿勢が
私の理念とは合わないと感じ始めたのでした。。。
理想の家づくりを求めて
お客様への向き合い方に
深く悩んでいた私に
新たな転機が訪れました
競合先の工務店の社長から
一緒に働かないかとの
お話をいただいたのです
「お客様のための仕事が
できるのであれば」と
私はその誘いに乗り
新たな職場へと移ることを決意しました
新しい工務店では
私が思い描いていたような
「お客様に寄り添った仕事」を
させてもらうことができました
現地調査、見積作成、契約、
発注、現場管理、そして経営と
幅広い分野を学ぶ機会に恵まれ
自身の知識と経験を
さらに深めることができました
会社の業績も順調に伸び
スタッフも増え
「いよいよこれからだ」と
意気込んでいた矢先に
予期せぬ事態が起こります
社長が仕事から遠ざかり
遊び惚けてしまうように
なってしまったのです
「このままでは会社が危ない」
強い危機感を抱いた私たちは
同僚スタッフと共に
独立起業することを決断しました
お客様第一の理想的な工務店経営を目指し
力を合わせて奮闘しましたが
現実は厳しく
理想とは程遠いものでした
日々の経営を続けることに精一杯で
次第にスタッフ間の関係も
ギスギスし始め
私はその会社を退職することになったのです
度重なる転職とそしてこの独立失敗
突然の退職で
私は「することもなく」
このまま社会からフェードアウトして
しまうのではないかと思うほど
「底辺時代」を経験しました
これまで積み上げてきたものが
すべて崩れ去ってしまったような感じでした
そんな失意のどん底にいた私に
当時、国会議員の秘書をしていた
同級生から声がかかり
国会議員の地元事務所で
働かせていただくことになったのです
政治には素人の私に
周囲の人たちは優しく接していただき
自分としても一生懸命働いたつもりでしたが
どこかに物足りなさが残り
再び悶々とした日々が続くようになりました
やっぱり私には
お客様の笑顔を直接見られる仕事が
向いているのではないか?
そんな思いが頭から離れませんでした。
お客様の声がくれた
最高のプレゼント!
国会議員事務所で働く中で
私は自身の進むべき道を
再び深く考えていました
ここまで何度も転職を繰り返し
独立も経験しましたが
やはり私の中にあったのは
「お客様のための仕事がしたい」
という強い気持ちでした
そんなとき
最初の工務店で
ご縁をいただいたお客様数名が
私を励ます会を開いてくれたんです
久しぶりにお会いする
お客様の温かい笑顔と
「うちのメンテナンスは
誰がしてくれるの?」
「もっと紹介したい
お客さんがいるんだよ」
という
言葉が私を決心させてくれました
このお客様の温かい応援こそが
私がもう一度、独立を決意する
決定打となったのです。
その気持ちを代議士に伝えたところ
代議士は
「やれるだけやってみろ
ダメだったらいつでも戻ってこい」と
温かく背中を押してくれました
その言葉に
どれほど勇気づけられたことか
今でも鮮明に覚えています
2010年
「リビングパートナー」を
創業するに至りました
「いい家より、いい暮らし」
そして
「ゆっくり、じっくり」
これは
リビングパートナーが
大切にしているモットーです
私たちは
ただ家を建てるのではなく
お客様一人ひとりの
ライフスタイルに寄り添い
そのご家族にとって
本当に「いい暮らし」を
ご提案するパートナーで
ありたいと考えています。
「リビングパートナー」という社名には
リビングが「日常生活」を意味するように
「お客様の日常に
常に寄り添う
パートナーでありたい」という
私の強い願いが込められています
お客様の笑顔のために
時間をかけて
じっくりと
いい暮らしをお届けすること
それが私たちの使命です
人の喜びをもって我が嘉びとする
「人の喜びをもって
我が嘉びとする」
この言葉は
私がお世話になった
ハウスメーカーの企業理念で
第1次南極観測越冬隊長だった
故西堀榮三郎氏の「愛の精神」の
教えに基づくものだそうです
当時のオーナー社長に教えられ
いまでも私が人生を通じて
最も大切にしている言葉です
お客様が心から満足し
笑顔で暮らしている姿を見る時
私自身の心が満たされるのを感じます
リビングパートナーでは
このモットーを胸に
常にお客様のお役に立てることを
最優先に考えて活動しております
いまはまだ私を含め社員数2名という
少人数ではありますが
だからこそ
お客様一人ひとりに
きめ細やかなサービスを
提供できると自負しております
施工エリアは
金沢エリアを中心とした石川県内です
地域に根差し
皆様の暮らしを支える
パートナーでありたいと思っています
リビングパートナーが
最も大切にしているのは
「お客様に寄り添い
お客様の『いい暮らし』を
一緒に創り上げていく
パートナーであること」です
私たちは
単に建物を提供するだけでなく
お客様やご家族が
将来にわたって
笑顔で、安心して
暮らせる「場」を
創造するお手伝いを
したいと考えています
これからも
お客様お一人おひとりの声に
真摯に耳を傾け
お客様の夢や想いを形にするために
社員一同
日々精進してまいります
お客様にとって
リビングパートナーが
「頼れるパートナー」で
あり続けるために
これからも温かいご支援を
賜りますようお願い申し上げます
このプロフィールを通じて
皆様に私のことを少しでも
知っていただけたら幸いです
最後までお読みいただき
本当にありがとうございました
ゆったり・まったりできる住まいを
じっくり考えてみませんか?
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