昨日は薄曇りだったが、今日は日は望めそうにない。
前線はビローンと東西にのびて、いつでも雨を降らせてやるぞと言わんばかり。
本州には高気圧があるのが救いか。。。
落雷で鹿児島では高校のサッカー練習中に沢山の重軽傷者がでたのは可哀そうだ。
冬の登山で雪崩で死んだり、落雷で重症になったり、学校行事でも親の心配事は尽きない。
我々の卒業した中学校は伝統的に遠泳を基本とする水泳実習を中学一年の夏に行う。
泳げる生徒から白帽、白に赤線の白赤、赤に白線の赤白、泳げないレベルが赤帽だ。
白、白赤は最終日に遠泳3キロに望む。場所は伊勢の二見が浦。過去には天皇も逗留された場所である。
サポートは中学、高校の水泳部の生徒だ。
私は白帽だったが、ペースが遅くて遠泳の列から遅れていく。必死になると溺れそうになる。
こんな状況はあまたあったであろうによくぞ死者が無く過ぎていくことだ。
古来泳法だから、ふんどしでゴーグルは無し。
100年くらいやっている行事だが、はたして今はどうだろう?僕らの頃と違って、今どきは金持ちとエリート層の子弟しか来なくなったから、親は不安らしい。
なんでも最近は、親たちによる水練会見守りツアーがあるらしい。そんなバカな!
実は私も子供が通っている時に沖に自分のヨットを回して見守ろうかと思ったんだが、当時はショボイたった30フィートのヨット(それもカタリナだ)でさらには五ケ所湾から相当遠かったのであえなく中止。
きっと今のラッシー50フィートを持っていたら行ってただろうなあ。。沖に碇泊、ゾディアックで見守り。
”そこの父兄の方~、接近は禁止で~す!”
なんて怒られそうだ。
かくして子供たちの課外授業も親には心配事だ。
1970年当時、先生やサポートの高校生はストリップ小屋に行ったとか行かないとか。
実習後はビールはきっと飲んでいただろう、おおらかな時代だった。
浜に上がると水褌を脱ぎ捨ててお風呂へ飛び込む。おやつは赤福が待っていた。(赤福さんは中学までは母校、高校から慶応である。親父の逆鱗に触れて社長を解任させられたが、いまは知らない)
高校生は暇さえあれば勉強をしていた印象である。本当に我が家のような学校だった。
体育課は剣道部の先輩、若い先生は大学剣道部の後輩。化学の先生はこの学校の同級生、引率の旅行社は同じくこの学校の同級生と(仲間意識は皆無なんだが)楽しく育ててもらった。。