
零戦が好き
こんばんは。
申し訳ないですが今日はランとはかけ離れた
話題で。いつもかけ離れてるかー😂
昨日はちさんのブログで鹿児島の知覧の話が
出てたのでまた沸々と零戦好きが復活しそう。
って話し。
知覧と言えば、
第二次世界大戦末期、鹿児島の知覧飛行場から
特攻の命を受けた若者達が
次々と飛び立つのだが片道の燃料のみで勿論の
こと帰っては来れない訳で。
そんな知覧飛行場の跡地に死ぬまでに行きたい
と思ってるんだよね。
はちさん行かれてて益々行きたいと。
特攻の母と呼ばれていた富屋食堂のトメさんが
経営してた富屋食堂跡地にも勿論行きたい。
亡くなった特攻隊の隊員達がホタルになって
帰ってきたという逸話が残ってるくらい隊員達
に慕われてたそうだ。
俺自身若い時から零戦が好きだった。
SUBARUの前身、富士重工が零戦を作っていた
と言うのもあったんだけどね。
なのでずっとSUBARUのレガシーに乗ってた。
オヤジが具合悪くなってワゴン車にしたけど
それが無かったら今もSUBARU車だったぞ。
あまりに好き過ぎて科学博物館にも
見に行った。
零式艦上戦闘機21式。
特攻隊で使われたのはこれより後継の機種で
52式とか。
本当に最後は飛行機ではなくミサイルの中に
特攻隊員が入る桜花とかだった。
更には好き過ぎが過ぎてプラモデルまで
組み立てる始末💦
零式艦上戦闘機21式
プラモデルって何が大変かって作った人は分かる
と思うけど塗装と水に浮くシールの貼り付けが
かなり神経使うんだよね。
シールは直ぐに切れるんだ😩
ヤバいなぁ。
また時間が幾ら有っても足らなくなってしまう。
でも先ずは、知覧に行きたい。
初めて神風特攻隊として米軍の艦隊に命を賭け
たのが1944年10月25日。
関行男大尉率いる敷島隊。
約80年前の明後日だ。
この方々の犠牲の上に今の日本が成り立ってる
事を忘れてはならないんだよな。
俺は人としてまだまだだなぁ。と。
歴史的事実



