https://www.youtube.com/watch?v=DVci08tSggA

◆イスラエルの民が散らされる前に、誰かが彼らの罪をとりなすことも出来たが、そのとりなしを誰かがし続けなくてはいけなかったため、とりなし手がいたとしても延々と同じことを繰り返すいたちごっこになっていた。不法の秘密を壊滅させることはいつでも出来るが、同様にいたちごっこになる。だから滅びは来る。神がリセットされる。つくづく全ては神の力、御心によってと思う。

◆イスラエルの民が散らされたことは世の益となったが、彼ら自身にも益となった。守らなくてはいけなかった律法から解放された。

◆イスラエルの民は神に怒られている、罪を責められている。これは霊においておのずと感じることであり、それによってイスラエルの民は神に反抗し反発している。霊において怒られている責められていると分かるため、反抗し反発している。イスラエルの民の末裔が目を伏し目がちになってしまう要素があるのは、神からの怒りと責めを自然と上から感じているためだ。聖霊を受けたものが神からの罪の赦しを受けていることを霊において分かるように、それを認識するしない関係なく、霊において分かっている。

◆神がイスラエルの民を苦しめられるのは、彼らが救われるため、イスラエルの民は恵まれていると思う。信じられないほど神に愛されていると思う。(箴言20:30)「傷つくまで打てば悪い所は清くなり、むちで打てば心の底までも清まる」苦しんでいるものは救いに近い。イスラエルの民が神にたいして犯した罪の報いゆえに受けている神からの呪いも含めて、多くの要素でイスラエルの民は世から苦しめられやすい。だからイスラエルの民は皆救いから近いことになる。

◆「イスラエルの民は奴隷」と言われて人がピンと来ないのは、世においては奴隷には見えないからだが、イスラエルの民は霊的に奴隷状態にある。これはイスラエルの民の反逆により神によってそうされたのであり、神の来臨後に奴隷状態から解放される。それまでは神によって奴隷状態のままとどめられる。

◆エジプトで400年間奴隷状態→聖別され高められる→イスラエル、エルサレムにおいてのイスラエルの民の神への反逆によって散らされる→ここが今も我々がいる時代、散らされ神によって奴隷状態キープ→キリスト来臨によって永遠に高められる。今の世においてイスラエルの民が受けている苦難の報いが、神によって永遠に高められることならば、イスラエルの民の苦難は永遠に高められることに見合ったものではないと思う。はじめからイスラエルの民を救うために神はそうされている。(ローマ8:18)「今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない」。

◆(ローマ11:24)「なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか」。私は自分がイスラエルの民の末裔と霊的に理解してから変化があり、日本人のイスラエルの民の末裔の名字と容姿、他国のイスラエルの民の末裔の名字と容姿がなんとなく霊的に分かるようになった。そしてそのことによって、悟って神を知っている人間にイスラエルの民が多い気がすると感じていた。「もしかしてイスラエルの民って悟りやすいんじゃないのか?」と思っていたら、この御言葉を神から示され気付き、そうであることの確信を持った。イスラエルの民が神によって頑なにされていなければ、イスラエルの民はあっさりと悟るのだろうと思う。

◆(伝道者、コヘレトの言葉3:15)「神は追いやられたものを尋ね求められる」神は日本で全世界で、散らされたイスラエルの民を呼びかけている。それは日ユ同祖論にしろ、それを意図的に否定しようとするものたちの動きにしろ、映画にしろ、日本の国歌である「君が代」がヘブル語訳されても意味があるなど、数多く散りばめられている。どれも自覚する機会として神から与えられていると認識出来る。映画はプレデターズという映画を見ると、イスラエルの民と日本人が絡む演出が意図的にされている。今は前以上にイスラエルの民への神の呼びかけは強まっている。
君が代。
https://www.youtube.com/watch?v=hMlZygKsCgQ&pp

◆世の中には適した言葉が数多くあるが、よいものは全て祝福という言葉に置き換えることが出来る。それは神からの祝福になる。美味しいと思うものも神の祝福。日本人の多くはイスラエルの民の末裔のため、日本には美味しいものが溢れているし、あらゆるよいものが溢れている。肉体も知恵も知識も思慮も、そして他国にはない素晴らしい技術も、全て神から与えられている。日本という国によい面が多いのは、私たちがイスラエルの民の末裔だからであり、神の民ゆえである。父祖ゆえに多くの不当な負い目と不利な債務証書とあらゆる各種契約が私たちにはあったが、今は随分と変化した。私たちは前以上に神からの祝福と恵みと憐れみを受けられている。今でも日本はさらに発展しつつあるが、これから日本はより発展していく事と思う。

◆日本という土地も、日本語も、神によって私たちに備えておかれていたもの。ノアの時代に海が出来、いま日本という国のある土地が島になったのは、私たちにこの土地が与えられることを神が定めておられたからだ。私はここに神の愛を感じる。北海道のパウダースノー、世界から評価されるサーキット場、あらゆる観光スポット、そこに伴ってある私たちへの神の祝福と恵み、数え上げたらきりがないほどあるはずだ。私たちが神に愛されている証と思う。

◆イスラエルの民は二度とサタンに訴えられることはない、神はイスラエルの民へのサタンの訴え告発を二度と聞き届けられない。

◆救われることが定まっている民であるイスラエルの民、これは凄いことだと思う。‭‭(ゼパニヤ‬ ‭3:18‭-‬20)‬‬‬「わたしはあなたから悩みを取り去る。 あなたは恥を受けることはない。見よ、その時あなたをしえたげる者を わたしはことごとく処分し、足なえを救い、追いやられた者を集め、彼らの恥を誉にかえ、全地にほめられるようにする。その時、わたしはあなたがたを連れかえる。わたしがあなたがたを集めるとき、わたしがあなたがたの目の前に、あなたがたの幸福を回復するとき、地のすべての民の中で、あなたがたに名を得させ、誉を得させる」と主は言われる。(イザヤ35:4)「神は来て、あなたがたを救われる」

(詩編68:6)「しかしそむく者はかわいた地に住む」と書かれている通り、いまのイスラエルは乾いた地であり、全てとは言わないが、今イスラエルの地に住んでいるイスラエルの民は、神に背いた人間の末裔が多い。

◆私はイスラエルの民のユダ族、ダビデの子孫末裔であり、その家系に生まれている。しかしそれを証明する物的なものを1つも持っていない。結局のところ、そこに家系図があったとしてもあまり関係のないことで、人がそれを信じるかどうかでしかない。これは私だけに限ったことではなく、イスラエルの民を自称するすべての人もそうなっており、そこに家系図があっても、あくまで自称でしかない。だから私は自分がイスラエルの民の末裔だと、言葉によって人々を説得し、信じさせようとは思わない。クリスチャンは霊的に理解出来るため、私がイスラエルの民の末裔だと受け入れられると思う。しかし世の人にとっては私もイスラエルの民も、自称イスラエルの民のまま変わらない。

◆自分がイスラエルの民だと自覚すると、全てとは言わないが、イスラエルの民を認識出来るようになるし、偽物も分かるようになる。クリスチャンは神に聞けばイスラエルの民の判別はいつでも出来る。

◆イスラエルの民、ユダヤ人がなぜ今のようになっているのか、その理由は(ダニエル書9:4)からのダニエルの祈りを読むと分かりやすく理解出来る。



◆これはイスラエルの民の末裔への軽い朗報。私たち12氏族とレビ人の容姿を悪くするために、あらゆる悪霊悪魔との契約やマスクなどをはめられ、私たちは数千年間容姿を不当に悪くされてきている。これに関して神にとりなしたため、12氏族とレビ人の容姿は本来私たちが与えられるもの以上によくなる。これはとるに足らないことなのだが、不当に扱われたため、私たちの容姿はまし加わって永遠によくなると言うことだ。

◆これも軽い朗報。おかしな家系との各種契約や同意同盟、奴隷しもべ契約など、我々が知らないところで結ばれていたものは、ほぼないと言えるほど破棄されつつある。それらによって霊的にくびきがあり、霊的にずっと繋がっていたため、イスラエルの地からず~っとくっついてきていたカナンの末裔など、こうしたものたちが自然と我々の前から離れたり屈服するようになっている。父祖が意図せず与えた権利で、私たちは何千年間と不当に扱われていた。今私たちイスラエルの民には大きな変化が起きつつある。私たちを不当に奴隷扱いとしてきたものたちは、既に奴隷まで落とされているし、二度と権威を持つこともないし高められることもない。

◆これはイスラエルの民の末裔である、日本人への朗報。福島原発の責任は既に日本になければ日本人にもない。私たちのせいではないのだから処理水も当然日本に責任はない。韓国とのかかわりも、それに伴った慰安婦や徴用工、歴史の捏造なども、過去の日本人が認めたことによる不当な負い目と不利な債務証書は破棄された。神へのとりなしによって私たちから消えている。これは霊的理解によるものだから、クリスチャンの中にも理解出来ない人はいると思う。しかし、そのことが分からなくとも、既に世にそれはメディアを介して現れている。大きな変化は起きている。

◆イスラエルの民がいるから、イスラエルの民が集まってくる。人は霊的繋がりによって引き合うことになるからだ。だからおかしな霊的くびきや契約などがあると、イスラエルの民にイスラエルの民でないものたちがくっついてくる。これがイスラエルの民に数千年間起こっていたことであり、それによって私たちの近くには常に何の関係もない民族や家系の人間がいた。