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~ビールを片手に~

人生についてちょっと真面目に考えたい人のブログ

アルベルト・ザッケローニ監督率いるサッカー日本代表が、

無事2014年ブラジルW杯への出場を決めた。

ザック就任の際に、僕はこのブログでザックジャパンは失敗に終わるのではないかと書いた。

理由は簡単だ。

それはザッケローニが柔軟性のある監督ではなく、また彼の志向する戦術が

今の日本に必要なサッカーに合わないと感じたからだ。

それが今、完全に露わとなってきたと思っている。


彼に課された役割は、ワールドカップに出場することでは、もちろんない。

本大会で、ベスト8以上の成績を残せるようなチーム作りをすること。

おそらく、現実的な目標はこの辺りなはずである。


ザックジャパンの滑り出しは確かに好調だった。

成長期にあったチームに、香川真司などの若手を軸にし、新たな風を吹き込んで、

結果も残してみせた。

しかし、途中から雲行きが怪しくなってきたのだ。


一番の原因は、流動性のない選手起用だ。

前線に好んで、前田遼一や岡崎慎司、最近ではハーフナー・マイクを使うが、

どちらかと言えば、皆器用で万能だが、得点力に突出したものはない。

これでアジアレベルは勝ちぬけるだろうが、本大会ではどうか。

ザックジャパンに足りない強引さは、試合がこう着した時に打つ手のなさとして、

如実に弱点となって表れる。


そこで、例えば、独力で突破が可能な柿谷曜一郎や、高さはないが身体の強さと

ポジショニングで得点を量産する佐藤寿人、世界レベルの高さと強さを備える

豊田陽平などを試せばいいのだ。

試した上で、合わないのなら構わないが、一向に代表にすら呼ばない。

この頑固さは致命的だ。


ずっと固定したメンバーで戦っていれば確かに、

チームワークは熟成されるが、そもそも日本というチームは国民性からか、

チームワークを構築することを苦としていない。

ならば、いっそ、個人技に優れたタイプをどんどんとその枠の中でどう使うかを

考えるべきだ。

また、固定したメンバーにけが人が出た時に、うまく対応ができなくなる危険もある。


こうやって、メンバーの過剰な固定化により、試合の中でのオプションをほとんど

持たないチームが出来あがってしまった。

それがここ2試合の感想だ。

これでは、世界の強豪相手に、ただぶつかるだけになってしまう。

それでは、また4年前に逆戻りじゃないか。


あえて、いまだからこそ言いたい。ザッケローニを解任し、より競争力を高められる

監督を呼ばなければ、2014年はガッカリして終わるはずだ。


それから余談だが、渋谷ではしゃいでた若者(バカ者)達。

自分も学生時代に体験したが、彼らはほとんど勝っても負けても騒ぎたいだけの

連中だ。人に迷惑をかけるな。

勝てば喜ぶが、負ければ徹底的に落ち込むサッカー先進国の連中は、そういう意味で

潔い。ファンのマナーからして、まだまだ日本は発展途上にあると感じる。
元モーニング娘の矢口真里さんが、夫の仕事中に自宅に若い(まぁどっちも若いんだけど 笑)

男を連れ込んで、夫と鉢合わせになったとかで、やんや言われている。


たしか結婚してまだそんな月日が経っていないはずで、なかなかにヒドイ女性だ。

オレは、浮気や不倫が悪いとは言わない。人間同士の、さらには男女の恋仲なんぞは

そもそも非常に滑稽なモノの一つで、普通なんてものはそれが慣習的であって、

好ましいくらいのこと。その普通の感覚が単純に適用できないのが人間の営みであり、

恋なのだろう。だからこそ、男女仲は古来から話のタネとして延々と使われているんだから。

社会的に好ましいかどうかとか、そんなことを夢中になってる2人に言ったところで

冷静になれるわけがないのだ。


さて、不倫擁護はこのへんにして(笑)


矢口さんである。一つ、オレが言わせてもらえるなら、不倫や浮気にもルールがある!

ということだ。例えば、相手にばれないよう100%の用心はしなきゃならん。

それが夫や妻に対する、せめてもの甲斐性とか敬意である。

彼女にはこれが欠けている。自宅に呼び込むとか、とんだ変態サンダ!!

しかも、不倫相手の男も夫の中村昌也クンより1センチ高いイケメンだそうで。

そこまで、特徴が似通っているのは相手に失礼ジャナイカ!!


190センチ越えの男2人と150センチもない浮気女の修羅場とはどんなものか。

イマイチ想像しにくい(笑)


ところで、これに対して一般人がとやかく言うのは、これも古来から変わらぬ、

人間の好奇心とか覗き見趣味とかであって構わない。

いつの時代も、こういう話題は耳目を集めるもの。

ところがテリー伊藤がこれを批判しているそうだ。それは違うだろ、おまえ。

しかも、暗に知っているかのように「他にもいっぱい悪さしてる」だと。


これが表沙汰になる前は、おまえはテレビでニコニコしながら、一緒に出演していた

側の人間だろう。それならば、なにか知っていようが知らまいが、知らぬ存ぜぬを

貫き通す、若しくは少しでもバッシングから守ってやるのが、道理じゃないのか。

なにもない時は、仲良く電波で稼いでおいて、いざ非難にさらされると、突き放す

どころか、突き落とす。自分がまるで聖人かのように、他人を論難する。

これを厚顔無恥と言わんのか。


その点、真っ先に擁護して見せた和田アキ子はさすがだった。

事務所云々を抜きにしても、これこそ、同じ業界で飯を食う人間に対する、

正しい振舞い方だと思う。


まぁ、テリー伊藤は小泉・竹中郵政改革の時も、真っ先にお先棒を担いでいたくせに、

その後の苦しくなった自民党政権にはそっぽを向いて、民主党が政権を取るや否や、

大喝采、大拍手してみせた男である。オレはずっと見ていたぞ。

そもそもがそういう、流行りや大きいものに流れて巻かれて、その反省もしない人間だから

今さらなんとも思わないが、「おまえが言うな!」とだけは言っておきたい。
元イングランド代表でキャプテンまで務めたことのあるデイビット・ベッカム選手が

引退を表明しました。

2002年の日韓ワールドカップでは、端正な顔立ちと訛りの強いペチャペチャした

話し方(おそらく唯一残念といわれるところ 笑)や、個性的な髪型で話題になったので

女性の方もよくご存じかと思います。


イングランドのマンチェスターUから始まったキャリアは、スペインのレアル・マドリー、

イタリアのACミランなどビッグクラブを経て、最後はフランスのパリ・サンジェルマンで

幕を閉じました。


さて、なぜわざわざベッカムについて書こうと思ったかと言いますと、僕がサッカーに

一番深く関わっていた学生時代、ベッカムは選手として絶頂期にあったのですが、

どうにもきちんと評価されていなかった節があったのです。

事実、今回の一件について、イングランド国内でも元イングランド代表のホドルが

「ベッカムは選手としてはグレートではなくグッドだった」

「彼はクラブにユニフォームの売り上げで貢献していた」

などと言われているように、ビクトリア夫人も含めたゴシップネタのせいか、どうにも

過小評価されているように感じるのです。


そこで、なんの関係も利害もないのですが(笑)ここでベッカムの名誉のために、

一言書いておこうと思った次第です。


彼の代名詞として、正確なクロスがよく挙げられますが、僕が個人的に一番評価していたのは

献身性と闘争心です。

当時のデータをひも解けばわかるように、ベッカムは毎試合誰よりも多くピッチの中を

走り回り、攻撃だけでなく守備面でも貢献していました。こういった彼のチームが

勝つために自分の能力を最大限生かそうという姿勢は誰もができることではありません。

どれだけ、敵陣深くまで攻め込んでも、守備の際はしっかり戻り、味方が空けた

スペースを埋めていたのです。こういった自己犠牲の精神こそ、彼が38歳という

年齢まで必要とされ続けた大きな理由です。


さらには、ああ見えて、カッとなりやすい性格のベッカムは、それにより何度か

ピッチの中で過ちを犯してきました。しかし、その度に、きちんとピッチの上で

その汚名を返上するようなプレーを見せることで、その雑音を封印してきたのです。

この精神的強さの軸となる闘争心は、彼のチームリーダーとしての資質を育てました。


たぶんに私見も含まれていますが、このように、実際のベッカムというのは、

世間で思われているような華やかでチャラチャラしたものでは決してなく、

非常に泥臭いプレーとイングランドの田舎育ちらしい素朴な性格を持つ、

魅力的な選手だったのです。

その点を評価せずして、ベッカムという選手は語れません。

ただ、人気があってユニフォームの売り上げがいいだけの選手ではないのです。


こうやって、彼の全盛期からのプレーを見続けてこれた者としては、寂しさも持ちつつ、

しかし、一人の人間の成長物語を最終章まで見れたという心地よさの方を強く感じる

のです。

こういったドラマ性もまた、スポーツの魅力の一つであると思います。
この前、美容院での待ち時間に雑誌を読んでいると、村上龍さんのコラムが目に留まりました。

書かれていることを大まかにまとめると、


1、知り合いのある小さな会社の社長が経営が苦しくなり、金策に走っている。

2、そこで働いていたAクンはクビになった。

3、しかし、社長はいまだに昔買った高級車に乗っている。

4、社員をクビにして、社長は高い車をそのまま所有し続けていることに対して、

Aクンは仕方がないと思っている。


そこで、村上氏の言い分は、別に彼が買ったものだから高級車に乗っていたって

構わない。法的になにか悪いことをしているわけではない。しかし、心情的には、

それを売ってでも社員の生活を守るべきかもしれない。

そして彼が一番言いたいのは、それを仕方ないよと思って納得してしまうAクンの

ような若者達にもっと怒りを持てよ!ということだったと思う。

ここで村上氏が使っていた言葉が、筋と道理だ。



勉強も兼ねて、少し字引きしながら、自分なりに解釈をしておきたい。



筋という言葉は「一筋が通る」とか「血筋」とか言うように、こう一本の大きな

線上を想像してもらうと分かり易いかもしれない。法体系も筋に入るかな。

一方、道理には、道や理(ことわり)という言葉が使われている。

道義とか真理という言葉があるように、この言葉はより、宗教的、道徳的な

意味合いが強そうだ。筋よりは、もっと狭い組織や共同体の中でのルールと言った

方がしっくりくる。

しかし、どちらも、正しさとか正統性というものは共通している。


一応言っておくが、これはかなり強引に手前勝手に区分けしているだけで、

面倒な人は、ほぼ同じ意味くらいに使ってもらって構わないと思う(笑)


さて、もう少し続けさせてもらうと、「筋が違う」と「道理に合わない」

こう並べると、2つの言葉の違いにピンときますか??

「違う」というのは、全く外れているというニュアンスで、言わば不正解。

ところが「合わない」は、ちょっと外れているという感じで、これまた言い方を

変えれば、部分点くらいはもらえそう。


これを勘案すれば、筋は基準が厳しく、道理は基準にやや曖昧さを残していると

いうことになりそう。それは、道理が多分にそれぞれの価値観に由来している

からではないか。

ふむふむ、よく分からん。。。(笑)


ここで少し話を戻すと、最初の話の社長は、筋違いではないのだろう。

ただ、道理としては、やはり合わないと言えるのだろう。

それは、法は犯していないが、共同体的感情や価値観としては、許容されにくい

ことだからだ。

そこまで考えて思い出したのが、大学生時代に読んだ、宮崎学の「法と掟と」

という本だ。これには感銘を受けた。

要約すれば、日本ではいわゆる【全体社会】の中に【法律】があり、それを基に

人は動くが、より狭い共同体、いわゆる【個別社会】の中にも、その社会独特の

【掟】がある。

そして、本来は、掟が機能しなくなった時に、初めて出てくるべき法が、

近代の日本社会では、法が過度に優先され、掟を持つ個別社会がうまく

発達しなかった。今の日本に必要なのは、掟のほうではないのか。


こういうことだったはず。

これに照らし合わせれば、村上氏の抱いた若者の感情についても説明がつく。

本来、掟(道理)に反した怒りを感じるべき行為に対して、それを法(筋)で考えてしまう

ことで、起きた齟齬だということだ。

確かに、そういったあまりに感覚や感情を無視した思考は、人間の本能的なモノを

失わせ、結果、今に見られる世間の雰囲気に迎合するような姿勢を生みだしている。


今置かれた社会が、正しいものかどうか、なにより面白いと感じるかどうか、よく

考えてもらいたい。

もし、十分に満足しているというなら、既に牙は抜かれている。

でも、もしそうでないなら、正しさとは何か、どういった価値を自身が見つけて

いくべきなのかを感じながら生きることができるチャンスはまだ残っている。
親に許された娯楽が少なく、家での楽しみが本を読むことくらいだった少年時代は、

本好きな父の本棚を漁るのが日課だったのですが、その中に多く含まれていた

いわゆるハウツー本は相当に乱読していました。


その結果、どうにも自分には合わない気もして、今では、参考程度ならまだしも、

著者に心酔するほど鵜呑みにすることに意味はないとの結論に至ったのでした。

何事も自分の経験を通じた、ハウツー以外に自身に大きな影響を与えるモノはない!

と感じたわけです。


そういう訳で、ハウツー本の類はあまり好きではないですし、そういうことを

書きたいとも思いません。

しかし、自分の頭の中の整理も兼ねて、少し僕自身の理念を。



≪何事も結果が全て≫

こういうことは、仕事でもなんでも様々な場面で聞くことがあります。

でも、僕個人はそうは思いません。というより、いい歳した大人がこういうたびに、

「何をいまさら」と思います。

自分の行為や発言の結果に対して、大なり小なり責任を取るというのは、

当たり前のことだからです。


仕事においても、プライベートにおいても、僕が一番大事にするのは

【プロセス(経緯)】

です。

Aという目標を達成するために、BやCという準備を行なう。

このBやCの精度や深度を上げることが必要だと思うのです。

簡単に言えば、準備をしっかり行なうこと。



仕事で例えるならば、Aという目標に対して、十分の結果は得られたとする。

しかし、その過程において誤解や間違いがあって、単に帳尻があった、

運が良かっただけだとすれば、次は大きな失敗に繋がるかもしれません。

僕自身は運がいい方だとは到底思えないような人生を歩んできたので(笑)

なるべく、その運や偶然を計算に入れない形で、出来ることをしておく

という考えになったのかもしれません。


さっきも言ったように、行動の結果には運に左右される部分も多いと思います。

だからこそ、そこに捉われすぎないで、自分が考え得る中で最善の準備をすること。

これを心がけることにしています。

それでも、ミスは起こり得ますが、その方が悔いは残りにくいものです。


まっ、これを実践するのが、実は一番難しいんですけどねー(笑)