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~ビールを片手に~

人生についてちょっと真面目に考えたい人のブログ

書きたいことは山ほどあるが、なかなか時間がとれない中で、それでも少しだけ

言及しておきたいことがある。


ちょっと遅きに失した感があるものの、時間をかけた民主党劇場の茶番を見せられた

菅首相の不信任決議案についてである。

この日はたまたまテレビで民主党代議士会から

通して見ることができたのだが、その中で菅総理は、

『民主党を壊さない』
『自民党に政権を渡してはいけない』

と熱く語っていた。


この場はある意味では、自らの首がかかった大一番、歌舞伎で言えば大見栄を切っていい


ところなのである。


にも関わらず、そこで出た言葉の大枠がこれでは・・・・・ねぇ~。


官僚と違い、政治家は、特に一国を預かる立場の人間には、細かな知識やデータの裏付けなど、


そんなものはそれほど重要なことではない。


国民のために一生懸命に汗を流す党員に、大いなる動機づけを与え、


そのためならやってやろうと思わせてやることが大事なのだ。


特段、総理大臣でなければできないことをやる気もない、それを言葉にもできず、


ただただ、あなた方の議席を簡単に失わせるようなことはしませんよ、では


そんなもの幹事長にでも言わせておけばいいじゃないか。


漢字が読めないとやらで揚げ足を取られた麻生太郎が、以前総理の座についてテレビのコメントの中で


「総理大臣というのは、孤独なものだ。」と語っていた。


彼は、生粋の政治家一家で育っていることもあるが、祖父の吉田茂の姿を幼少期に見て、


そういった孤独に耐える覚悟がしっかり身についていたのだろうと思う。


それに引き換え、菅総理のなんともみっともない姿はなんだ。


年甲斐もなく、ただ構って欲しいだけのわがまま坊やそのものではないのか。


ましてや、あのマスコミが辞意表明と受け取ったあの言葉。


「東日本大震災の復旧・復興、原発事故の収束に一定のめどがついた段階で、


若い世代にいろいろな責任を引き継ぐ。」


復興に目処がつくまでやらせてほしい、というのは当初から言っていたわけで、なにも変わってない。


要は辞めるつもりなどさらさらなかったわけで、言いようによっては、幾らでも続けられる


この言葉からは、総理大臣としての志も覚悟も伝わってこない。


案の定、その日の夜に、「辞めるつもりはない」との本人の言葉を伝えるメディアもあった。


辞めるとの言質を取ったと思い込んでいた鳩山さんも間抜けだが、事前取材で辞意を報道した


マスコミもバカを見せられたわけだ。


彼らもこんな調子だから、そらぁ、愚衆政治の只中で、マスコミが煽るだけ煽り、まるで


ミスコンの人気投票でもしているかのような軽さで安直に民主党の口車に乗り、


国民を騙すことなど、さぞかし簡単なことだったろう。


政治に最も必要なモノは変化ではなく、安定であるという当然の事実も知らぬまま。


マスコミ風にやや揚げ足を取らせてもらうなら、あなたが若い世代に引き継ごうとしている


その「「責任」も丸投げじゃなくて、一定のメドを立てておいてくれよ、とでも言わせてもらいたい。


語るものがない、語る言葉を知らない政治家が、トップに立つことは、国を危うくさせる。


その怖さを思い知ってもなお、ニワトリ並みのおつむで三歩歩けばすぐに忘れる日本国民に、


政治家を批判する権利などありはしないと肝に銘じておいてもらいたい。

もう観た方も、これから観られる方も、おはようございます。


いやいや、もう興奮(笑)


ひとまず、エンターテイメント性という意味では、近年ではあの2004/05シーズン、


リヴァプール対ミラン戦以来の最高のゲームでした。


現在の世界中のクラブで、現在のバルセロナを倒せるとすれば、攻撃と守備のバランスを考えれば、


レアル・マドリーか今季のマンチェスター・U以外考えられなかった。


そのマドリーが敗れたからには、対バルセロナの対策を立てそれを実行できる


可能性があるのは、サー・アレックス・ファーガソン率いるマンUだけ。


にも関わらず、もうその予想のはるか上をいくバルサの強さ、賢さ、巧さを見せつけられて、


オレはずっと鳥肌が止まらなかった。


もちろん、ルーニーを含め、マンUの選手達の気迫も、本当に素晴らしかった!


いやぁ、もうこの1試合にサッカーというスポーツの面白さが、ギューーーーーーと凝縮されています。


サッカー好きも、初心者でも楽しむことができる、最高の舞台での最高の試合。


非常に有意義な90分間でした。


これで、今季の欧州サッカーは主要リーグは終了。


7月まではお休みです。


昨年はワールドカップがあったことで、代表クラスの選手たちはまとまった休みのないまま、


ひたすら働きっぱなしだったはず。


今季はしっかり休養を取ってもらい、また、最高のプレーで楽しませてもらいましょう。


バルセロナ優勝おめでとう!そして、我が愛するクラブ、レアル・マドリーよ、来季こそはCL決勝へ!



『ワンピース』と『ドラゴンボール』どっちが好き? ブログネタ:『ワンピース』と『ドラゴンボール』どっちが好き? 参加中

私はドラゴンボール 派!

本文はここから


はっきり言って、比べるのもおこがましい。

ドラゴンボールはオレの幼少時代の最大級の娯楽だったが、あれは子供向けだが、

子供が大人になっていく過程で学ぶことの多い漫画。

ワンピースは弟が持っていたので読んでいたけど、あれは子供向けの子供な漫画。

悪く言えば、非常に幼稚で毒がない。

ワンピースの、「実はみんな心の底はいい人、仲間だよ」みたいなノリが気持ち悪いのよ。

ドラゴンボールは、悪はしっかり悪として描かれていたでしょ。

鳥山先生の創造力がいかに素晴らしかったが、よくわかった。

ワンピースごときがもてはやされるのは、漫画自体がつまらなくなってきた証拠じゃないか。

と、おっさんがわめいてみる(笑)



『ワンピース』と『ドラゴンボール』どっちが好き?
  • ワンピース
  • ドラゴンボール

気になる投票結果は!?






橋下大阪府知事が、国歌斉唱時の教員の起立義務化条例の成立を目指す考えを明らかにした。


オレも長年住んでいたので分かるが、大阪という土地は、在日朝鮮人の多い土地柄ゆえに、


非常に日教組の力が強いところであり、オレも昔先生方が、授業中に日本を貶めるような発言を


あれこれしていたのを今でも鮮明に覚えているし、国歌斉唱時に起立しなかった先生が多かった


のも見てきている。


このニュースには当然、賛否が分かれる意見が出ているようで、オレみたいな人間なら、


「国歌もまともに歌わんのなら、そんな奴日本から出て行け!」


とでも言っておけば楽なんだろうけども、正直諸手を挙げて賛成という風にも思わない。


(ちなみに、この橋下知事の発言には政治的計算があるんじゃないかという見解もあるだろうが、


そこはオレの興味の範囲にはさほど深く関わってこないので、言及はしない。)


もちろん、君が代の斉唱の際に起立すること自体に反対するわけではない。


ただ、公務員と言えども、それを条例化して強制とし、クビをちらつかせるやり方に


違和感と言うか、品のなさを感じるのだ。


そもそも、公の場で国旗を仰ぎ見、国歌を歌うことは、強要されてやるべきことなのか?


もっと、自発的な行為として当然に粛々と行なわれるべきものではないのか?


こういった当たり前のことが、そうならないのが戦後日本の特殊さでもあり、悲しい現実でもある。


ある意見として、個人の思想信条の自由を侵害するのでは?というものがある。


公の場でのマナーなどにうるさい日本人が、こういう時には公人であることの前に個人である


ことを我が物顔で主張し始める。しかもいい大人が。


オレとしては、国旗や国歌に対する敬意は、個人の思想とはかけ離れたところにあると考えている。


Aさんがキリスト教徒でもBさんがイスラム教徒でも構わないし、Cさんが日本に対して悪感情を


持っていても構わない。


ただし、公の場においては、その個人的な感情や思想信条はひとまず横に置いて、自国の象徴に


対する礼儀として、毅然とした態度を取る。


それが、日本国民としての作法であり、道徳であるはずなのだ。


そんな道徳も礼儀も守らない人間が、果たして子供たちにどの面さげて教育するのか?


オレの大きな違和感の根源はここにある。


もう一つは、『公』というモノに対する考え方である。


最近テレビで有名な教育評論家の尾木直樹氏によれば、公務員の公とは国家であるというのは


古い考え方で、それは市民であるとするのが新しい考え方だそうだ・・・・・


公務員というのは、それが教師であろうが政治家であろうが、役所の人間であろうが、


その仕事は回りまわって国家が正常に機能するために働くことである。


そして、その恩恵を大きく受けているのは、市民ではなく、国民だろう。いや、そうであるべきなのだ。


彼の言う市民とは左翼連中から頻繁に出てくる言葉で、国家や国籍に縛られないという意味


なのだが、何に対しても責任を持たない、自由でいたいがその恩恵だけは存分に受けたい


と思うことのどこに公的な要素があるのだろうか。


自国に対する不満はあるだろう。時には、国民として恥ずかしく思うこともあるだろう。


それでも、その国の枠組みから外れる事は出来ないのならば、そういった感情も背負いこんで、


過去を受け入れ、未来へとバトンを渡していこう。


人間というのは、そういった大きな意識や行為の中から、より小さな社会や組織の中での


覚悟や責任を学び、それが一つの国が続いていくための歯車となっている。


ただ、それはあくまで自発的行為からであってほしいと願うのは、そこまで無理な願いなのか。


橋下知事も、せっかくの機会だから、国歌や国旗を拒絶する者たちに抗弁させてみて、


日本人が自分達の国について真剣に考えるきっかけとしてみたらどうだろうかと思う。