障がいがある子もない子も一人一人

「オリジナルの役割」がある♡

 

 

山本真弓です。
 
 
 
障がいがある子のお母さんと
13年間の教員時代を含め
500人ぐらい接してきて思うのは
 
 
「この子は社会の役立つことが
できないんじゃないか…?」
 
「この先何も幸せな生活はできないんじゃないか…」
 
という漠然とした不安をお持ちの方も
たくさんいらっしゃるってことなんです。
 
 
 
そこで
ちょっと私の経験から語らせていただきますと…
 
 
 
うちの天使の次女は7年前
出産のトラブルによって重度の心身障がい児となり、
 
・全く身体を動かせない
・コミュニケーションが全く取れない。
・ミルクは管で身体に入れていた。
・人工呼吸器で生命を維持
・目が見えてない。耳も聞こえない。
 
生まれてすぐにこんな状態になりました。
 
 
 
 
お腹の中では健常児だったはずなのですが
後天的に障害を負ってしまったのですね。
 
 
当時、それはもうものすごく自分を責めましたし
 
「私があのときちゃんと早く病院に行っていれば!」
とか
深い罪悪感に何度も苦しみました。
 
 
 
そんな次女のことですが
私もこの数年間、さまざまなことを深く学んできて
 
「あぁ、これは次女が生まれてすぐこの身体になる、って
お空の上で決めてきたんだな…」
 
と、ストンと理解したのをきっかけに
 
 
「この子はこの身体で生きることでしか
成し得ない【お役目】を全うするために
私のところに配属されたんだな」
 
って自然に思えるようになったんですね。
(もちろん最初は無理でしたよー。)
 
 
 
 
で、なんでそんな風に思えるように
なったかというとですね。
 
サポートがないと生きられない次女の
「この世界での役割」ってなんだろう?
 
ということをずっと考えてきたからなんです。
 
 
 
 
これはあくまで私の意見なのですが、
 
 
 
重い障がいがあった次女は、
 
関わる人を人として育ててくれる役割
 
を果たしたのではないか?
 
 
と思ってるんです。
 
 
 
どういうことかと言うと、
 
 
 
次女と向き合うことで
 
重い障がいのある子の発する
 
わずかな変化に気づけるようになったんですね。
 
 
 
 
 
それだけではなく、
 
ただひたすらに生きる次女の姿によって
 
人として得たもの、学んだことが多かったんですね
 
 
 
 
そう考えると、
 
次女は次女として存在しているだけで
【母を育てるという役割】

を担っていたんだ、と思ったんです(^^)
 
 
 
 
また、
 
重度の障がいがある子は
本人自ら周りに働きかけることは難しくても、
ちゃんと快適か不快かを感じてるし
それを身体の変化で表すことができるんです。
 
 
 
そのほんのわずかな発信に気づく術を持った人が
たくさん周りにいることで、
【気持ちよさ】を感じる頻度が増えていくんですね。
 
 
 
だから、私たちは次女が生きるために、
わずかな発信を読み取って
適切なサポートをする必要があった。
 
(次女の場合は体勢を変えると
脈拍が上がってしまったりしたので、
不快なんだなとわかる、 とか。)
 
 
 
そして、次女なりの「気持ちよさ」の表現
(体調の安定、わずかな呼吸の変化など)
が見られたとき、とても嬉しかったんですね。
 
 
 
つまり私は、
 
何もできないと思っていた次女から
この上ない【喜び】を
与えられてたんです。
 
 
 
次女はただ一瞬一瞬を生きていただけ。
 
自分から周りに対して
 
行動したり働きかけたりはできなかったけど、
 
 
 
私たちは
 
次女から色々受け取ってたってことなんです。
 
 
 
こういう気づきや学びもその一つですよね。
 
 
 
 
 
そしてこれを読んだ人のうち、
 
一人でも何かを感じて拾ってくださる方がいたら…
 
私の書いたものを通して
 
次女は全く知らない人にも影響を与えたことになる。
 
これってすごいことだと思うし
 
これこそ次女と私の【共同作業】なんじゃないかなって。
 
 
 
そう思うと、
天使になってしまった次女だけど
私にこれを書かせることで
今、一緒に尊いお仕事をしてるんです。
 
 
だから次女が重い障害でつらいとか
天使になって悲しいとか
そういうことはもうすべて昇華して
 
「このお役目を全うするために
障がいの重い次女と出会った」
 
とさえ思えるようになりました。
 
 
 
これは私と次女の場合ですが、
 
 
 
どんな子にも
絶対に何らかのオリジナルの
【お役目】や【役割】があります。
(障がいのない子もね♡)
 
 
 
そして、
その子がその子として生きる意味が
どんな子にだってちゃんとある!!!
 
 
次女は生まれてすぐ障がい児になったことで、
もう社会に対して何もできないのではないか…
と当時は不びんに思う気持ちがありましたが
 
 
障がいが重くても【自分の役割】をちゃんと果たせた。
 
 
そう考えたら、
 
我が子の障がいに対して
必要以上に不憫に思わなくても
いいんじゃないか?
 
と心からそう思っています。