④の続きです。
私がICU(集中治療室)から一般病棟に移ることができた日。
普通は産科に入院するのに、たまたま空きがなく、病棟が離れた婦人科に入院することになった。
正直、ホッとした。
今、産科で元気な赤ちゃんの泣き声を聞いたら絶対、私はパニックに陥るだろう。
私の赤ちゃんは、ここにはいないのだ。
しかも、ほかのママが赤ちゃんにできることが私は一切できないのだから。
考えただけで、気が狂いそうになる。
私はひたすら搾乳して、冷凍してもらったのを小児科医に次女の病院に運んでもらっていた。
その日は色々検査を受けたりして、夕方までダンナさんと過ごしていた。
そして、この日はあれから初めて上の二人の子どもたちが病院にくることになっていた。
私が運ばれてからすでに4日が経っていたが、ICUでは子どもは面会不可だったのだ。
夕方、祖父母と一緒に上の子たちが来た。
抱きついてきた二人は、とても温かかった。
そして、すごく、すごく有り難かった。
だけど、再会の喜びもつかの間。
病室で子ども達と一緒にごはんを食べてからすぐのことだった。
いきなり病室に小児科医が訪ねてきて、信じられないことを告げた。
実は、向こうの先生から連絡があって…
赤ちゃんが…ちょっと厳しいみたいで…。
お母さんにきて欲しいって先生が…。
今すぐ会いに行けますか?
一瞬で血の気がサーッと引いた。
悪夢だ。
嘘でしょ。
なんなのこの流れ…。
心臓がバクバクいって、もう目の前は真っ暗だ。
でも、今行かなくちゃ、もう会えないかもしれない。
今朝までICUにいた身体で、病院を移動して大丈夫なのか?私だってこんな身体なのに、どうすればいいの?
「ダンナさん、充分、お母さんを支えてあげて下さい。」
そんな…もう娘に何かあるみたいな言い方…
私はまだ充分に回復していないので、車椅子で移動し、ダンナさんと上の二人と祖父母と共に、赤ちゃんの病院に向かった。
雪がすごくて、真っ暗闇に放り出された気分だった。
しばらくして、NICUに着いた。
ここにいるんだ。
私のお腹についこの前までいた、あの子が。
初めて会う日がこんな日だなんて、辛すぎるよ‼︎
お願いだから、間に合って‼︎
初めてNICUに入ると、「お母さん、大丈夫ですか⁉︎来てくれたんですね‼︎」と歓迎を受けた。私が危なかったと聞いていたからだ。
機械がたくさん起動していて、至るところでアラームや電子音が響いている。今まで見たことのない異様な空間に戸惑いながらも、赤ちゃんのところに近づいた。
ただ、幸いなことに、
私たちが着いた時には、次女は持ち直していて、危険な状態を乗り越えていた。
それを聞いてひとまず安心したけど、次女の姿を見て、私は胸が張り裂けそうになった。
次女は、小さい身体で、頭や身体にたくさんチューブやコードをつけられ、人工呼吸器がいれられて、必死に生きていたのだ。
小さな小さな手を、泣きながら握りしめた。
ありがとう。ありがとう。
がんばってくれて、ほんとにありがとう。
うまれてきてくれて、ありがとう。
きっと、大丈夫だからね。
どうすればいいかわからなかったけど、ずっと次女に話しかけて、動かない手足をさするしかなかった。
…
主治医の説明では、次女は脳のダメージの他に腎機能も低下していて、尿が出ない状態が続いたらしい。それが続くと、体内にカリウムが過剰になり、腎臓やほかの臓器にダメージを及ぼすそうだ。
初日からNICUに呼ばれて次女と面会していたダンナさん。たくさんたくさん、次女に話しかけていたらしい。
脳の低温療法を続ければ、脳のダメージは回復するが、そうすると命の危険が伴う。
低温療法をやめれば、命は救われるが、脳のダメージは止められない。
この究極すぎる選択を迫られたダンナさんは
命を優先して下さい。
と頼んでいた。
ダンナさんは前の日、次女に大量のオムツを買ってきたそうだ。たくさん、おしっこしていいよ、との気持ちをこめて。
…
私が行った時には、尿が出て異常な数値がなんとか持ち直していたらしい。
「ママに会いたくて、呼んだのかな〜」
冗談交じりで主治医が話してくれたので、気持ちが少しだけ和んだ。
その日を境に、尿の量も日に日に増え始め、一番危険な山は超えたようだった。
この後は、自分の病院から次女の病院へ毎日通った。ダンナさんが来られない日は自分でタクシーに乗って通った。
「ママに会ってから、おしっこ出るようになったからね。ママパワーだね。」
スタッフみんながこんなことを言ってくれたらもう、毎日行くしかない。
私は先に退院し、次女の面会に通う日々が始まった。
……
この後も次女のNICUストーリーは1年3ヶ月にわたって続きますが、また別の記事で書いていきます。
これが、壮絶出産から次女がNICUに入るまでの出来事でした。書ききれなかった部分もありますが、またの機会に。
こんなことが起きる、妊娠、出産。
この話を読んで、普通に元気に産まれることが当たり前じゃないことを、いろんな人に知ってもらえたら有難いです。