一歩踏み出せば何が
変わっていたかもしれない…
そう思った事はないだろうか?


例えば
電車に乗っていて
鍵が落ちていたとしょう。
でも、その鍵は落として
いるであろう人と
隣り合わせで
他の人が並んで座っている
座席と座席の間に
落ちている。

どちらが落としているかも
曖昧で断定しずらい。
もしかすると
その鍵自体、双方の物でも
無いのかもしれない。
結局、一言をかける
その一歩が踏み出せず
鍵を落とした人は
電車を出てしまった
というパターンである。


電車のドアが閉まり
走り出した時に
鍵を落とした人は慌てて
ホームに戻って来たのを
目の当たりにし
あの時に声をかけて
あげればよかった等と
思った時である。


もし、
気付いていたなら後の事を
あれこれと考える前に
行動を起こしていたら
結果は変わっていたに
違いない。

だとすると
あれこれと考え過ぎて
行動に移すタイミングを
逃し大切なチャンスも
逃している可能性だってある。


奥手や消極的とは
一歩を踏み出す勇気が
でない事で生まれている
のかもしれない。

慎重な事や熟考して行動を
移す事も大切ではあるが
事を運びたい時は
とりあえず
一歩踏み出してみる
出たとこ勝負も一つの
手なのかもしれない。


今の自分はなにを
しているのか?


これからの近い未来に
向かい何をしょうと
しているのか?

潜在意識の中に何か
リンクする物があるから
人々は行動に移す。

物事を起こすきっかけを
話す時に「たまたま」と
いう話しがある。
では、その「たまたま」
があった場合に
自分の潜在意識の中に
「たまたま」の内容が
全く興味の無い物
だとしたら果たして人は
飛び付くのだろうか?
その「たまたま」の
チャンスにすら気付いて
いないのかもしれない。


おそらく行動を起こす
時にはなにかきっかけに
なるであろう自分すら
気付いていない潜在意識に
リンクした物が
働いているように思う。

迷ったり考える時は
自分のルーツを振り返り
自分の潜在意識のリンク
するものを探って
みるとなにかヒントが
隠されているかもしれない。


自分の周りに集まる人が
自分の運をも左右する?


人徳という言葉がある。
何を持って人徳なのかを
考えてみる。


人が心から好きな人には
味のある雰囲気が
いい人が自然に集まって
くるし
そんな人が集まる場所に
自分自身も自然に
引き寄せられている。


人の権力やお金、仕事等
自分の道具や駒のように
欲得のでの計算、 打算で
人と付き合うと周りにも
同じ人しか集まらず
本当に自分が困った時には
力を貸すどころか損を
被りたくない事から
離れていく…
最後には一人ぼっち…
というのが世の常である。

人徳という言葉に
話しを戻すと
自分が常に志し高く
一生懸命に生きれば
自然にいい人が集まって
くるのでは
ないだろうか?

自分がいい人生を送り
自分が望む人生の成功を
願うのならば
自分をもっと知り
見つめ直し、
まずは
足元を固めてみると
いうことになる
のかもしれない。


人が好きで人を思う
気持ちがあるとそれは
行動に移される。
その好意を受けた人は
感謝の思いで
また人を助ける。
それがめぐりめぐって
元の人に何かの形で
戻っていく。

それが人徳であり
「情けは人の為ならず」
の由来でもある。