今日は母の日だった〜 | 楽しくいこうね

楽しくいこうね

シルバーの私が思うこと

忘れていた、、、、

息子のお嫁さんから色々頂いたのに〜

フルタイムで働いている長男の嫁からは

いつも同じお店からかな〜???

 

 

ソープフラワーらしい〜

良い匂い〜!

黒い長い箱に入っていて

一瞬

ハイブランドの何か???

と血迷ったけど

そんなわけ無いかぁ〜

 

毎年

お嫁さん2人は同じような感じ

それは性格の違いかな〜

 

10日ぐらい前に貰った豪華な生花は既に痛んでしまった、、、

けど

造花その他は永遠に残る、、、

何年も溜まった造花類を私は飾っていたけど

主人は何処かに片付ける

そのうちそっと捨ててしまう

一応は

「えっーーー!」って非難するけど

その方が良いかもって思う私

 

娘のいない私は

何か頂くと小っ恥ずかしいけど

じんとするほど嬉しい!

 

そしてまた老婆は思い出す

息子達が幼稚園の頃

片田舎の小さな駄菓子屋で

母の日に

おもちゃの香水を2人で買って来て

ママありがとう〜!

って

プレゼントしてくれた事

 

初めてのプレゼントは

香水〜

昔も色々珍しいのが有ったもんだ〜

 

そうそう

私の小学生の頃の古い写真も不思議

バービー人形の妹スキッパーと同じファッションというところが、、、

(白いサンダル、白い靴下、白いレースの手袋、スカートにパニエの付いた黄色いノースリーブのワンピース、白いボンネット帽子)

バービー人形は中学生の時

「女学生の友」と言う月刊誌で初めて知ったのに

ましてやスキッパーの服なんて〜

50歳前にバービーコレクターしている時に知った妹

 

子供用の白いレースの手袋とか〜

1950年代なのに

どんな方が作られて販売されたのだろうか???

当時のハイソな家庭の子供さんにだって需要が無かったので

流れ流れて最果ての田舎の店が受け入れたのか???

 

それに私は

当時の凄く珍しい円形ハンカチとかもまだ保存している

 

とても不思議

 

18歳ごろ

九州はファッションには程遠く

その頃輝いていた福岡天神のショップの店員さんに

何故流行りの服が無いのか?

と尋ねたら

ファッションの到着するのは熊本県から!

と聞いてビックリした事が有った

 

20歳ごろは

佐賀県はどの県よりも早く

DCブランド取り扱う方がいらして

ブテックも沢山開店されて嬉しかった〜

 

当時はそんな時代だった

 

昔の話するのは年寄りの証拠

現代を生きる人には無意味な事

老害ばばぁに朽ちていくなぁ〜

 

なにくそ!

脳みそ入れ替えるんだ!

頑張ろう〜

ファイト!