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近所付き合いについてのコメントありがとうございました。
実は思い出したのですが、メルモを飼う直前。
妻が、両隣の家や裏の家など近所一帯に
これから、犬を飼いますので迷惑をかけるかもしれませんがよろしく
と回りました。
(向かいは学校の敷地で、さすがに学校には挨拶には行きませんでした。)
ご近所への挨拶、これ結構大事なポイントですね。
おかげさまで、近所の方もご協力(ガマン?)をしていただいてます。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
今から、丁度14年前の
1995年1月17日
その日は、阪神間に住む人間にとって忘れる事の出来ない日となりました。
そう、阪神淡路大震災の起こった日です。
私たち夫婦は2DKのハイツに住んでいました。
午前5時46分52秒
もちろんその時間は、当時は就寝中の時間。
でも、その直前に『ゴーッ』という地鳴りのような低い振動音で目を覚ましました。
そして、突然の凄い揺れ。
天井に吊り下げた蛍光灯が激しく揺れ、角にあったテレビ台が傾き。
隣の台所からは
『ガシャーン!バリン!ドテン!』
と様々な異音が聞こえてきました。
妻と1分間ほどでしょうか、寝床から起きられずに二人して目を見合わせました。
『とうとうきたか・・・』
その前から、軽い地震がしばしば起こっていました。
てっきりその地震が本格活動をしたのかと思ったのですが、実際の震源地は淡路島。
M7超級の地震だったのです。
しばらくして起き上がり、隣の部屋を覗くと・・・
あたり一面に陶器とガラスが散らばり、歩くのも危険な状態。
いつも朝食をとる椅子には、大きく重い食器棚が覆いかぶさり
電気釜やガスオーブンレンジは、吹き飛んでいました。
地べたにタオルを敷いて、ようやく玄関へ。
一番怖かったのが、集合住宅でもあったので火災。
でもそれはまぬがれたようです。
すぐ側の道路は、自販機があちこち倒れ、古くからの家並みも傾き、門もあちこち好き勝手な方向に倒れていました。
自分達夫婦は、幸いケガもせず、身の回りの物的被害だけで済みました。
そこで気になったのが、それぞれの親の家。
当然、電話など通じませんし信号も全て消えたメインの道路をそろそろと車を走らせ、親の家へ。
同じ市内にある住宅造成地の実家と少し離れた妻の実家(今住んでいる家です)は、幸い何の被害もありませんでした。
むしろ
『なんで二人してこんな朝早くに来たの?』
と不思議がられる始末。
そこで、早々に帰宅し家の片付け。
大きな洋服ダンスも倒れています。
もちろん、足の踏み場もありません。
停電の中、懐中電灯で営業をしていたコンビニはとっくに食料や水は売り切れ。
その日は、幸い買っていたカップラーメンで過ごしました。
(なぜか、電気はダメでしたが、ガスも水もその日は大丈夫。その後半年は点検の為にガスなし生活でしたが。)
当然会社は休み。でも、欠勤を伝える家の電話は繋がらず公衆電話も長い列で1時間ほど待ちました。
(当時は携帯電話など一部の人しか利用していませんでした。)
それでも、人的被害は夫婦や家族になかったので翌日は出勤。
(電車は私の通勤地域は奇跡的に動いていました。)
大阪に出ると、不思議な感覚にとらわれたものです。
なんと、お金を出せば普通に食事が取れる。
普通の生活がありました。
電車で30分ほどの被災地、そこは地獄が待っているのに・・・。
あれから、人生観が変わったように思います。
あと、30分地震が来るのが遅ければ、いつも座っている朝食の席に大きく重い食器棚が襲いかかってきただろう。
あと、1時間遅ければ電車に乗っていて確実に転倒転覆していただろう。
生きているだけでも、儲けもの。
そんな気持ちになりました。
14年の月日が経ちました。
言い尽くせないことがいっぱいですが、
私たち夫婦はたまたま助かった。
そして
6000名以上の命が、偶然と隣り合わせに亡くなられた。
それをわけたのは、本当にたまたま。
私の市内でも2百メートルほど離れた活断層の上の家は軒並みやられ、犠牲者も多数出ています。
阪神淡路大震災で失われた全ての命に合掌です。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
そうそう、ブログネタでした
震災の時のコンビニは、頑張って営業してくれたけども
欲しいものは、何もなかった
です。
食料も水も電池もガムテープでさえも。
すっからかんになりました。
前日までは、商品が所狭しと置いていたのに。
やはり、家の近所には防災施設。
歩けるところに、犬も連れていける避難所が欲しい。
それは、とっても貴重な存在となりえます。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
地震なんて知らないでつ(メルモ)
メルモは地震を知らない子ども。
(きっとクレアもね)
人間の世代でも、地震を知らない世代が育ちつつあります。
でも、関東大震災や東海大震災を始め大震災は必ず起こります。
いついかなる時でも、被害を最小限にとどめる。
その気持ちは忘れないようにしたいものです。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
たまたまですが、生きて生き抜いている命。
その素晴らしさにポチッをお願いします。
↓
近所付き合いについてのコメントありがとうございました。
実は思い出したのですが、メルモを飼う直前。
妻が、両隣の家や裏の家など近所一帯に
これから、犬を飼いますので迷惑をかけるかもしれませんがよろしく
と回りました。
(向かいは学校の敷地で、さすがに学校には挨拶には行きませんでした。)
ご近所への挨拶、これ結構大事なポイントですね。
おかげさまで、近所の方もご協力(ガマン?)をしていただいてます。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
今から、丁度14年前の
1995年1月17日
その日は、阪神間に住む人間にとって忘れる事の出来ない日となりました。
そう、阪神淡路大震災の起こった日です。
私たち夫婦は2DKのハイツに住んでいました。
午前5時46分52秒
もちろんその時間は、当時は就寝中の時間。
でも、その直前に『ゴーッ』という地鳴りのような低い振動音で目を覚ましました。
そして、突然の凄い揺れ。
天井に吊り下げた蛍光灯が激しく揺れ、角にあったテレビ台が傾き。
隣の台所からは
『ガシャーン!バリン!ドテン!』
と様々な異音が聞こえてきました。
妻と1分間ほどでしょうか、寝床から起きられずに二人して目を見合わせました。
『とうとうきたか・・・』
その前から、軽い地震がしばしば起こっていました。
てっきりその地震が本格活動をしたのかと思ったのですが、実際の震源地は淡路島。
M7超級の地震だったのです。
しばらくして起き上がり、隣の部屋を覗くと・・・
あたり一面に陶器とガラスが散らばり、歩くのも危険な状態。
いつも朝食をとる椅子には、大きく重い食器棚が覆いかぶさり
電気釜やガスオーブンレンジは、吹き飛んでいました。
地べたにタオルを敷いて、ようやく玄関へ。
一番怖かったのが、集合住宅でもあったので火災。
でもそれはまぬがれたようです。
すぐ側の道路は、自販機があちこち倒れ、古くからの家並みも傾き、門もあちこち好き勝手な方向に倒れていました。
自分達夫婦は、幸いケガもせず、身の回りの物的被害だけで済みました。
そこで気になったのが、それぞれの親の家。
当然、電話など通じませんし信号も全て消えたメインの道路をそろそろと車を走らせ、親の家へ。
同じ市内にある住宅造成地の実家と少し離れた妻の実家(今住んでいる家です)は、幸い何の被害もありませんでした。
むしろ
『なんで二人してこんな朝早くに来たの?』
と不思議がられる始末。
そこで、早々に帰宅し家の片付け。
大きな洋服ダンスも倒れています。
もちろん、足の踏み場もありません。
停電の中、懐中電灯で営業をしていたコンビニはとっくに食料や水は売り切れ。
その日は、幸い買っていたカップラーメンで過ごしました。
(なぜか、電気はダメでしたが、ガスも水もその日は大丈夫。その後半年は点検の為にガスなし生活でしたが。)
当然会社は休み。でも、欠勤を伝える家の電話は繋がらず公衆電話も長い列で1時間ほど待ちました。
(当時は携帯電話など一部の人しか利用していませんでした。)
それでも、人的被害は夫婦や家族になかったので翌日は出勤。
(電車は私の通勤地域は奇跡的に動いていました。)
大阪に出ると、不思議な感覚にとらわれたものです。
なんと、お金を出せば普通に食事が取れる。
普通の生活がありました。
電車で30分ほどの被災地、そこは地獄が待っているのに・・・。
あれから、人生観が変わったように思います。
あと、30分地震が来るのが遅ければ、いつも座っている朝食の席に大きく重い食器棚が襲いかかってきただろう。
あと、1時間遅ければ電車に乗っていて確実に転倒転覆していただろう。
生きているだけでも、儲けもの。
そんな気持ちになりました。
14年の月日が経ちました。
言い尽くせないことがいっぱいですが、
私たち夫婦はたまたま助かった。
そして
6000名以上の命が、偶然と隣り合わせに亡くなられた。
それをわけたのは、本当にたまたま。
私の市内でも2百メートルほど離れた活断層の上の家は軒並みやられ、犠牲者も多数出ています。
阪神淡路大震災で失われた全ての命に合掌です。
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そうそう、ブログネタでした
震災の時のコンビニは、頑張って営業してくれたけども
欲しいものは、何もなかった
です。
食料も水も電池もガムテープでさえも。
すっからかんになりました。
前日までは、商品が所狭しと置いていたのに。
やはり、家の近所には防災施設。
歩けるところに、犬も連れていける避難所が欲しい。
それは、とっても貴重な存在となりえます。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
地震なんて知らないでつ(メルモ)
メルモは地震を知らない子ども。
(きっとクレアもね)
人間の世代でも、地震を知らない世代が育ちつつあります。
でも、関東大震災や東海大震災を始め大震災は必ず起こります。
いついかなる時でも、被害を最小限にとどめる。
その気持ちは忘れないようにしたいものです。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
たまたまですが、生きて生き抜いている命。
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