ブログネタ:「文化祭の思い出は?」 | メルモとクレアと紅と葵のパパ

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文化祭の思い出は? ブログネタ:文化祭の思い出は? 参加中
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文化祭と言えば、高校時代に一番思いが戻ります。

我々の高校では

「むらまつり」


と名づけていました。(今でもその伝統は生きているのかな?)

文芸誌というか、総合誌というか意見誌というか、そういうものを「むらまつり」に合わせて発行しておりました。

袋小路の状況をうちやぶれ!パンチ!

とばかりに

「やぶれこうじ」

というガリバン刷りの50ページくらいの冊子です。

当日までは、編集方針、取材、原稿の手配・校正、ガリ切り、印刷、製本・・・

と、放課後常時7~8人のスタッフが出入りしてました。

やはり締め切りに追われるのは、この業界の常。

「むらまつり」前日などは、ほとんど徹夜で追加原稿の印刷から製本作業までこなしていました。

もちろん、高校なので生徒の徹夜は禁止禁止です。

でも、その頃の校務員さんと仲良くなって、特別に黙認してもらえました。

もちろん、「むらまつり」が終われば、打ち上げビールお酒

もうとっくに時効ですが、顧問の先生宅でお酒を持ち込んでの打ち上げをした事も・・・。


あの頃の、文章を書く経験が今でも生きているのかな・・・そうでもないか。



やぶれこうじの編集を徹夜でしながら、


翌日の体育祭での1500m走を優勝するヤツ

国旗掲揚で、日の丸の代わりに汚いジャージを上げたヤツ

声ががらがらになりながらも、体育館で行われたステージでピアノをバックに独唱をするヤツ

プレハブ校舎の一室を借りて10時間ぶっとおしコンサートをするヤツ(私もその一味でした。)


自由でバイタリティあふれた当時は新設高校。

まさに、文化祭は「むらまつり」のごとく共同体の中でのハレの日々でしたね。


極めて、個人的な思いを綴っただけですので、コメントはスルーしても全然OKですよ。


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