3年ほど前に、あの「時代布と時代衣装池田」で有名

「池田重子先生」にお会いした。


きもの neisan


いちださんのお仕事でお会いしたのですが

きもの neisan

とてもお優しい素敵な方で

私のような、地方の「きもの」好きに

丁寧にお話してくださり、

折角だからと、大蔵財閥のお嬢様の

持ち物だった「振袖」を見せてくださった。

勿論、着物で伺ったのだが、寒い時期で
ウールのコートを着ていた私・・・

先生はスグに、どこか寒いところから
来たのかと
尋ねられた。
東北の町から来たと伝え、
寒さカバーに
腕から手首にかけて
レースのレッグウォーマー
(アームウォーマーが素敵なモノが無かったので)を
はめていたのもスグに見つけ、
それも尋ねらた。転用を伝えると、
感心してくださり、楽しいひと時を過ごさせていただいた。


きもの愛好家として、嬉しい時間を
頂いたのだが、何より
お人柄が伝わる
優しく穏やかな空気と
小柄な身体に、品格と威厳に満ちた
お姿を拝見でき、
今でも、時々思い出し
あのように、年を重ねて行きたいと
願うのでした。

美人の要素って何だろう・・・

時代が100年経っても、
やはり美人は美人。
下の写真は、日本初の美人コンテスト1位

末弘ヒロ子

当時16歳
第一位に輝いたのは、末広ヒロ子。16歳で、福岡県 小倉市長・末広正方の娘であった。
ヒロ子はアメリカ
「ヘラルド・トリビューン」主催の世界美人投票での審査でも、世界第六位に輝いている。
しかし、彼女は女子学習院に在学中。このコンクール入賞の報は、学院長の逆鱗に触れ、
退学処分になってしまった。

コンクールへの応募は兄の独断で、本人に無断での応募であったとか・・退学後は、良縁に恵まれ結婚とか・・・



きもの neisan

彼女は3位の人です。
着物の着方は今と同じですね。
着方は時代や、立場によって微妙に違いが
見えます。この方は、流石正統派なきもの!

きもの neisan きもの neisan
きもの美人絵葉書

陸奥宗光伯爵夫人 亮子

社交界の花形だったとか

結論!
美人は、今も昔もやっぱり美人!

 

昨日は冬下駄ネタでしたが、今日も冬の履物です。
昔は、と言っても私が小さい頃は
もっと寒かったし、雪も多かった気がする。

今は、道路整備が日本国中されているから
雨が降っても、余程の山奥にでも行かなきゃ
泥濘や、水溜りは無い。
だから、今、一般的に履かれてる「草履」で
充分なんだろう。

でも、少し昔は「きもの」が普段着。
だから、履物もTPOに合わせて
履いたし、選んでいた。

昨日の雪下駄は北国の生活に
合わせて作られたのだろう。

アザラシの防寒草履。

きもの neisan
これは、雪道でも滑らない加工が
底にされてるし、暖かい!
それに、毛並みがつま先に向かって
流れてるので、履きこむときは
スムーズに、歩くときは毛が逆立つ
ので脱げにくく、雪道じゃ最高の
威力を発揮!


きもの neisan
これも、雪用の下駄ですが
現代のものです。
爪皮は雨を避けるガードです。
その爪皮に雪避けの毛を付けて
あるのが雪用下駄。
(昔は犬の毛だったと聞いたことがあります。)

どちらも、現代ではマニア?の
為の、特別なモノになってしまって
いるようです。