TVやら新聞やら一斉に水俣病報道です。昨日の式典も型通り、お約束通りの運び、例によって小泉さんは来ず、代理が代読するばかりのこと。当のチッソ会社はその後も存続し、地域の雇用源としてゆるぎないわけです。どのメディアも正論を吐きながら、結局政府のお追従、御用学者の屁理屈と司法判断とやらで「科学的に」終息させようとするわけです。首相もメディアも、国の舵取りを司る者として、あるいは社会を先導する者としての覚悟が足りぬのです。法律的に正しいとされる対応だけでは人の憤りや不満怒りは収まらないのです。いかにも言葉が足りません。つくづくそう思います。
 岩国、決まりましたね。井原さんが御旗に掲げた事柄が、あっさり無視されました。十分に予測されたことですし、さほど驚くには当たりませんが、さて井原さんどうされましょうか。まぁ斜に構えて結果から逆算すれば、所詮は条件闘争であるのだからどう有利な交渉運びをするかの視点、擦り寄るか歯向かうかの選択、井原さんはその政治信条から住民投票に進んだ、反対した議会は当然擦り寄りを得策と判断しただけのぶつかり、投票に行くななんておかしなキャンペーンまで張られて結果は井原さんの勝ち(これもどっちが勝ったのやら実はわからない)、次の市長選も相手が勝手に転けて不戦勝の態、住民の過半を越える基地移転反対の声を背にしての反対交渉という図ではありますが、相手がおらが国さの時期宰相候補とあれば、「岩国には迷惑をかける」なんて殺し文句ひとつでみんな呑み込まねばならぬのは必定、あれこれしていうるちにほら御覧なさい知事の言い方も変わってきましたよ市の意向と県の方針とは違うなんて、安倍さんが宰相になった暁にはどれほどの利権がこの地に降り注ぐことか、そういうところに鼻が利いてそれを第一に価値おいて人繰り根回し段取りするのがこの人たちの仕事ですから、それに背を向ける意気地があるのか井原さん、というところですかね。どこで身を翻すか、要はその機を窺う交渉。で、向こうさん(国)も手練ですから、面子をつぶさないようなおいしい条件を出してくるのでしょう、井原さんに「苦渋の選択だった」と言わせるような舞台設定。なーんか茶番ですねぇ。どう見ても、どう贔屓目に見ても、井原さんより安倍さんでしょう。これが絵に描いた如き大勢ですよね。国策なんて大振りな言葉で表現される流れです。じゃぁ、同じ国策といわれている上関原発はなぜあれだけ遅延しているのでしょうか。答えは簡単でしょう、急ぎの事案ではないこと、地元の反対(地元の反対といっても、議会はいつも賛成多数でしたよね)押し切って捻じ曲げるほどのことでもないこと、国にとってそれほどおいしい話でもないこと(中電の仕事ですから)。そっちでやれや、なのです。アメリカがらみの話とは大違いです。ま、当然ですわね。原発は要らんものですから。米軍は要るということです。ううむ、民意ですか、日本の民主主義は間接民主主義であって、直接民主主義ではないのです。住民投票に最後の手段的、葵の御紋的ニュアンスを引っ付けてはならぬのです。そういう前提で、民意とはなんぞや、ですな。