沈黙と言う映画を観ました。自分で観といて言うのもなんですが、これは日曜日に観る映画ではないと思います。土曜日とか、気分的に楽な時に観ることをお勧めします。内容はかなり重い話ですが、歴史や宗教的な事、文学に興味がある方は、面白いと思います。
遠藤周作先生の作品です。ご自身がご病気され、生死を彷徨った時に書かれた作品であると聞いてます。遠藤周作先生自身がキリスト教信者であった事もあり、そのようなご病気をされて、はじめて信仰に対して、疑問を持たれたのでは無いかと思います。
日本の歴史を学ぶ上で、なんとなく知ってる事って沢山あると思います。その中の一つが、キリスト教の弾圧ではないかと思います。時代は鎖国してる真っ最中の江戸時代!農民達は重い税に苦しめられ、飢えと貧困に苦しむ中、誰でも平等に救われると言う、キリスト教の教えに出会い、一心に祈り続けた事と思います。
しかし、キリスト教を信仰することは、当時許されていませんでした。詳しくは映画を観て頂きたいですが、数々の処刑が行われました。本当にむごい限りです。どれだけ信仰心の強い方でも、最後には折れてしまうのでは無いでしょうか?
それが今の時代で言うところの、いじめやパワハラですね。命は奪わないかも知れませんが、精神的に骨抜きにして、死んだも同然にしてしまう…それは、ここまで大げさではありませんが、結局のところ、同じ状態になっている事があります。
そんな時に、自分の信じている物って何だろう?と思う時が来るものです。私自身も沢山あります。今いじめに苦しむ人もそうだと思います。そして、同じように、この歴史の中でも、また、遠藤周作先生も沢山悩んだと思います。その悩んだ末に見つけた答えは、どんな物よりも素晴らしいものであると思います。そして、揺るぎない物になると思います。
もはや、本当の神様や仏様の言葉なんて、どうしたって知り得ない。ニーチェの「神は死んだ」と言う言葉が胸に刺さりますね。この写真にある言葉、それも人間に都合良く書かれた言葉だな…って思います。今の時代も、人間それほど変わってない。今イエス様が生まれても、やっぱり「証拠を見せろ」って皆で叩くんでは無いでしょうか?
だからこそ歴史を勉強する事は大事だと思います。沢山の人の物語があります。その一人一人が、何回も死ぬような危機を乗り越えます。その際、皆悩んで悩んで、そして自分だけの揺るぎない信念を見出します。それは、今を生きる智慧となります。
遠藤周作先生もそうでした。この映画の最後に、遠藤周作先生自身が見出した答えではないか?と思われる一説が出てきます。それは此処で書くよりも、映画をご覧になった方が良いと思いますので、書きません。
最後に、踏み絵を踏めと言われたら、どうするか?その時は迷わず踏んだら良いんです。こんな物踏んだからって地獄に落とすような信仰なら、神様とは言えません。それは、人間の権力争いから出る浅知恵に違いありません。しかし、死を覚悟してまで踏まなかったのは、どうしてだろう?その背景を考えるのが、歴史勉強の醍醐味ではないでしょうか?
そう考えると、クリスマスの歌を歌ったり、宗教関係の曲を歌う時は、このように、死を覚悟して祈った人達の気持ちで歌わないといけないと思います。それも、歴史を勉強して初めてわかることです。
最後に、遠藤周作先生がご病気の際に思われたこと…それは、踏み絵を踏んだ者こそが救われるべきではないか?と言う事でした。この時代に限らず、今の時代に生きていても、そう思う事が多いです。
最後に、遠藤周作先生が病院で苦しまれている時、何回も神様に疑問を投げかけました。「こんな時でもあなたは黙っておられるんですね?」それは怒りに満ちた感情だったのです。その時、誰か知らない人がふらりと病室に入ってこられ、遠藤周作先生に「踏み絵」を渡されたそうです。それから病状はみるみる回復されたと言う話が残っています。まだ沢山の不思議な話もありますね。
明日は月曜日ですが、一緒に頑張りましょう。
それではまた