たまに議論になることがある
〜戦争は必要か?〜
〜死刑制度は廃止すべき?〜
〜核は持つ?持たない?〜
脅かされることに怯え、気がつけば銃を手に取っていた
次の朝も迎えられますように
こんな言葉をTweetしていたアカウントがあったのだけど、翌日にはアカウントごとなくなっていた
今まさに世の中には争いが絶えず
弾薬を作る会社は儲かっているかもしれない
個人的には戦争はあってはならないこととして
心に刻むように毎日の報道や
凄惨な現場の写真や動画を
モザイクもない状態で
安全な場所から静観している
私が見ているものはなに?
私と同じように誰かから産まれた人が
誰かを鉄の玉で殺し
そのまた誰かがまるで生ゴミと同じように
焼かれたり千切られたり捨てられたりしている
黒焦げの四肢と
どこにあるのか分からない
頭部だけ無い亡骸
泣き叫ぶ母親とそれをなだめる父親
もしあの場所に私がいて
"殺さないで"と懇願したとして
果たして無事でいられるのか…
きっと何らかのかたちで存在を脅かされ
様々なモノを失い
もしかすると
その結果すら見ることもなく絶命するかもしれない
戦争がなぜだめなの?
こんなふうに小さな子供に聞かれたら
あなたならなんて説明しますか?
(コメントください)
つくづく思うことがある
どうして技術や仕組みが進化しているのに
人の悩みは尽きることなく
また
進化故に新たな苦悩が湧いてくるのか
もしかすると人類は全くと言っていいほど
進化なんて出来ていないのかもしれない
いつまでも鎮座する核弾頭
その数13080発(2021年時点)
終わらない紛争
未だ194カ国中24の国や集団が戦闘中
平行線の領土問題
数え切れませんでした…
せっかく先人たちが言葉を作ってくれたのに
通訳もいるのに
翻訳アプリもあるのに
世界が丸くならないのはきっと
人間の"欲"があり続けるから
言葉を交わせば少しは分かり会えると
私は絵空事を信じたいのです
欲が誰かを犯すなら
それはいいものとして捉えられない
肉が食べたければ動物を殺めるし
憎くて堪らない相手がいたら
私も刃物か鈍器で襲うかもしれない
結果殺してしまう可能性を否定できず
戦地で行われる残虐な事々を避難しつつ
己の中にも少なからずある本能に気がつく
(一方的な残虐行為は看過できません)
こんな葛藤に気がつくには十分すぎるくらい
昨今報道されている事は鮮明に世の中に発信されていて
"どうしてこんなことを…"と嘆きながら
"私は人を殺さないのだろうか?"と
問うてみると
絶対しない。とは言えなかった
想像してみてください
後頭部に銃口が突きつけられていたら
眼の前で友人が犯されていたら
我が子が弄ばれていたら
核ボタンを押されそうになったら
そして
あなたの手の中に十分な武器があったら
考える暇もないほどの状態で
引き金を引かない選択が出来ますか?
私はやっぱり自信がありません。
激昂していたら自分を抑制することよりも
その場をどうにかしようと暴れてしまうはず
人間も生き物だから
防衛本能が働くんです
その本能や欲が他者に向いたとき
人は人を殺すのかもしれません
殺さないまでも、立ち上がってこなくなる程度には攻撃するか拘束するはずです
戦争は必要か?
私は"国"を守るという意味で自衛の術は持っていてもいいと思っています
玄関に鍵を掛けるのと同じく
ある一定以上の障壁がないと
残念な人(平気で奪うことをする人)から
大切なモノや人、暮らしを守れないからです
死刑制度は?
絶対的な有罪であり、それを明確に証明出来るなら必要かもしれない。許されないことが世の中にはあるので。しかし、死ぬことが罰として相応なのかというとハッキリとした答えが私にはない。死を望むものもいるから。
罰というもので償い続けるのか?
その償いの意味や効果は?
死刑について考えると、
まるで世の中に出てしまった不良品を回収してスクラップにするような流れをイメージしてしまう。考えれば考えるほどモノと生き物の境界線すら分からなくなる。
その昔、死刑にもグラデーションがあったそうな。
軽犯罪向けの苦痛が少ない死刑
重犯罪向けの苦痛が多い死刑
見せしめや抑止としてのパフォーマンス
(張り付けや打首獄門など)
いずれも結果として生命を奪うことになる
"死ねクソ野郎っ!"と庶民から投石されたり
朽ちるまで野ざらしにされたり
身体がバラバラになるような目にあったり
いずれも人が人を殺めていることに違いはない
感情では片付けられないから
法律を作ったけれど
その法律すら逆手に取ってくる者がいたら
それはすでに機能を失ってはいないか?と
私は考え込むのです
核は?要不要?
盾として持っているのが現状で
もし誰かが発射したなら
きっと報復による報復と折り重なって
地球の至るところが焦土になってしまう
核の議論の根底にあるのは
"他国から侵略される可能性"を
否定できないままの世界だからだと思う
もし、誰からも攻撃される心配がなく
誰も罪を犯さず
お花畑のような世界でみんなが手を取り
ニコニコしていたら
核弾頭なんてただの危ないオブジェ
きっと処分方法について議論して
世の中からどんどん武器がなくなって
美味しいご飯の確保に尽力出来るでしょう
しかし、一枚岩ではない人類
人種が同じでも殺し合うし
家族でも手に掛けるし
相手の気持ちはやっぱりわからないし
疑心暗鬼や陰謀論、風説が人を臆病にして
自分可愛さから武装してしまうのかと。
そもそも
戦争が今でも外交の一つの手段となってしまっていることが残念
わかっています、こちらが両手を広げて
"仲良くしよう、握手しよう"と言っても
相手の物欲しそうな目に輝きを与えるだけで
結局奪われるだけになると。。
政治家は国益を追求するとき
国のサイズや権利を広げようとします
確かに領海や権限が増えれば儲かると思います でも、その先に誰かの悲しみや恨みが生まれるならそれはベストな方法ではありません
広島と長崎に核を落としたアメリカでは
"あの核使用が戦争を終わらせた"と言われています
被爆された方々は長い月日を経て
少なくなりましたが、
被害を受けたほとんどが市民です
アメリカに敵意もなく"アメリカ"という
国のことも知らない子供まで
一瞬で真っ黒焦げの遺体になったんです
何かを終わらせるため
何かを得るため
守るため
他人の犠牲は許容しなければなりませんか?
そもそも争うことを前提にしていませんか?
人にすることは自分に返ってくるという
覚悟がありますか?
譲れないことはやっぱりあります
だからといって考えるの諦めてたら
いつまで経っても堂々巡りですよ
そもそも臨戦態勢で居続けることって
凄く疲れませんか?
勝ち負けの前に命の尊さを重んじれる世の中になる方法を誰か見出してほしい
私にはそこまでの知識も技量もなくて
惨事を見て辛くなるだけの
ちっぽけさしかないんです
うんぬんかんぬん述べましたが
核抑止は機能しているかとても疑問です
日本は今のところ持つ必要はないと思うのですが、もし今後も他国を脅かすつもりの国があり続ける限り
絶対いらない。とは言い切れない状況です。悔しいけれど。
人と人は出会い方で敵にも友達にもなれます
それをどこかの誰かが展開する情報や過去の因縁に引っ張られて
気がつけば"あの国は悪だ"と思ってしまう人は
それなりにいるんです
国や政権に対してならまだしも
それが一般の人にまで向かうのはおかしいのです
人種で括ってヘイトスピーチや差別をする人が残念ながら日本にもいます
誰一人として産まれる場所を選べないのにです
全てはたまたまなので
その部分を忘れてはいけません
あなたの先祖を殺した人の末裔があの国にいたとして
あなたはその末裔に手を掛けますか?
憎しみの連鎖を止めるには
どこかで立ち止まって
違うアプローチをするしかないんです
人を恨みながら生きていくよりも
素敵な生き方があります
そのことにすら気が付かせないようにする国や教育、先を行く大人こそ悪です
知らないものに人は怒ったりしないんです
怒りや憎しみを人に強要すること自体暴力と大差ないんです
平和はあるものではなくて
作り続けるものと誰かが言っていました
国政や世論が歪んでいかないようにするには
私のような小さな存在でも
常々平和を目指すことを軸に考え行動しなければいけない
言葉や肌の色、生まれた場所の違いなど誤差でしかないと
過去は過去で
今現在お互いに笑えるようにするにはどうするべきか?
それを考えなくて未来なんてありえません
ここまで書いても
やっぱりハッキリ答えが出ないんです
きっとこうやって面倒になって
気がつくと誰かを傷つけるときまで保留してしまうんです
ここで止まってはいけないはず
ウクライナとロシアの争いを教訓とするならば
日本はガードを高くするよりも
もっとちゃんと隣国と話をして
国内でも有事の為の支度は多少なりともしておくべきと思います
いわゆるお花畑理論を捨てたくないワタシがいます。が同時に自衛の重要性をこの度の戦争で再認識しました。
いくら時間が掛かっても
諦めず議論し続けるほうが
結果犠牲は少なく済みます
結論を急いでもだいたい損するんです
ロシア側にも言い分あれど
我慢出来なくなったから侵攻したわけで
もし侵攻しなかったら
コロナが邪魔ないつもと似た春が巡るだけだったはずなんです
私達に出来ることはないか?
あります
想像することです
どうやったら平和で居続けられるのか
考えて言葉にしてみるんです
上手じゃなくてもまとまらなくても
その積み重ねでしか
人々は繋がっていけないのですから
後日、祖母と戦争について話をしてきます
実際に太平洋戦争を生き抜いた人からどんな言葉が出るか分かりませんが
Peace Piece