外道

辞書にはこう書いてあります。

 

仏教以外を信仰する者

道を外れた人、またはそのような行いをする人

 

なかなか強い言葉です。

 

むか~いむかし

とある私立中学にひとりの若者がいました

彼はほぼ毎日といっていいほど学校に遅刻をし

授業にも出席せず、自らが思った通りの日々を過ごしていました。

 

ある日、先生が彼に言いました

「お前は悪い奴じゃない、強いて言えば外道、道を外れているぞ」

’そのこころは?('ω')’

「来なくていいぞ、顔を見たら説教しないとならないから」

 

そして彼は家に帰りました。

そして数日間物思いにふけました。

’学校に行く意味は何だろう…(´-ω-`)’

 

彼は学校が嫌いなわけでも

いじめに遭っているわけでもありません

ただ分からなかったのです

 

”なぜ学ばなければならないのか?”

この疑問に答えてくれる大人

一緒に考えてくれる人が身近にいなかったのです

 

それと同時に彼は知っていました

大人になれば’我慢は必要’

社会に出れば今のような自由は認められないことを

 

答えが出ないまま彼は学校に行きました

そしてなぜか

教室のドアを開けることを躊躇してしまったのです

行くところもなく、わずかにとどまれる居場所を探していました

 

そして自分より自由に

遊びまわる人

いわゆる’不良’と行動をしたりしました。

 

不揃いな姿の彼らとの時間

’楽しいことを求めて動く’そんな日々に

彼は不思議な充実感を覚えながら

 

教室との距離は遠のき

大人たちからは目のかたき

なにかする前から疑われ

なにかあれば疑われ

見た目の作用するところを学んだ

怒られる理由は’日頃の行い’だそうだ

 

ある日、彼に外道と言った大人は

通勤中にスピード違反をし

半年間の免停

駐輪場でばったり会った。

彼の肩を掴み大人は言う

「何かやらかすとみんな扱い変わるよな、確かにしくじったけどよ」

不意打ちの弱気に戸惑った   

いつも通り小言を言われると思っていたから

 

”先生は外道になれないね(^^)悪いこと認めてるから”

意味不明な回答をして、颯爽と学校を出ていく彼

周りが先生の陰口を言っていることを知っていた。

なんだかかわいそうだったから笑顔でごまかしてしまった。

 

翌日、珍しく早く起きて学校へ

ベランダへ出ると仲良しの女友達が一服中だった

「珍しいじゃん、おはよ」

彼も一服つけながら話し出す

”先生って大変だよね、俺みたいなやつに説教しなきゃならないし、

しくじるとみんなヒドイ事言うし”

「それが仕事だもん、仕方ないわね」

彼女はさっぱりした性格で女子から嫌われていた

 

でも一度も陰口を言わなかった

だから仲良しだった

 

久しぶりに授業を受けてみた

担当は免停の先生

相変わらず周りの生徒は陰口を言いながら

クスクス笑っていた

みんなが文章問題に夢中になっているときに

不良の彼は内容が分からず

うわの空、不意に先生と目が合う

 

彼は廊下に呼び出された

そして先生が急に

 

「お前にモノを教えていいのか?」

きっと先生は自信やモチベーションが衰退していたのだと思う

生徒も他の先生達も薄ら笑いでその’大人’を見ていたし

馬鹿にされていることは誰の目にも明らかだった。

 

”いやじゃなきゃ教室に居たい”

彼はなんだか先生がほっとけなかった

独りぼっちがしんどいことは

それまでの日々で学んだ

つまはじき・仲間外れ・実際に言葉や攻撃がなくとも

人を壊す方法はそこにあった

 

学年が上がり担任が変わった

次の担任との面談で驚くことがあった

『○○先生あんたのことすごく褒めてたよ』

なんで褒めてくれるかピンとこないまま面談が終わり

帰り道で先生と遭遇した

 

「今朝はちゃんと来てたな、ありがとうな。」

嬉しそうに言われて

何も考えずにうなずいた

なんだかいろんなところが痒くなった

 

そんなこんなで卒業まであっという間に時が過ぎた

自分なりに馴染むため、クラスに関わるようにした

思いのほかあっさり受け入れてもらえた

素直に嬉しかった

それと、これまで小競り合いで皆を邪魔したことに気が付いた

いつか謝ろう

 

卒業式に遅刻しないように早すぎる登校をした

名残惜しさが安眠を妨げたのかもしれない

ここで過ごすのもあと数時間

やり残したことはないか?

彼は気になっていたことを思い出した

 

ある日言われた『○○先生あんたのことすごく褒めてたよ』

この真意を聞いてみたいと思った

 

式が終わり、涙顔の集合写真を撮り解散の時間が来た

あの先生の姿を探した

何度も呼ばれた職員室にも名残惜しさを感じた

’最期に挨拶しに行こう’

そう思って向かう後者

給湯室で一人コーヒー片手に微笑む先生

 

やっと質問が出来る

そう思って’せんせー’って呼んでみた

すると

「とっとと帰れよ!友達とカラオケでも行ってこい」

明らかな照れ隠しが微笑ましかった

 

’聞きたいことがあるんですが’

「なんだ?」

’○○先生が俺を褒めてたって。あれが知りたい’

「教えねー。」

’なんで??’

「言ったら天狗になるだろ?」

’最後だもん教えてよ!’

「一個だけ、これだけは言わないとな」

「お前は外道なんかじゃない、すまなかった」

 

謝られるなんて意外過ぎた

それに、そんなこと言われたことを忘れていた

彼はなんだか居心地が悪くなり

雑に先生たちに別れを告げ

足早に学校を出て行った。

 

 

 

それからしばらくして

 

 

 

彼が働く店に先生が来た

たまたまだった

一応お互いの名前を確かめた

そして

急に先生が目を潤ませた

「お前がちゃんと働いてるのが嬉しくて」

’俺は道を外さずに済んだよ、誰かのおかげかな’

 

こんなくすぐったい話をして

連絡先を交換し

呑みに行く約束をした

当時を知る友人からはなぜか羨ましがられた

不思議なもので、お互いちゃんとぶつかったから

変な溝もなく今でも連絡をとる

 

これまで私は

先生になりたいと思うこともあった

でもきっと、人に厳しくする覚悟が足りない私は

いけない先生になってしまいそう

ついついマジになる性格はきっと

相手を疲れさせる。かもしれない。

 

モノを教えることは尊いこと、そして大変なこと

ただ教科書をなぞるだけなら

先生の存在の意義が分からなくなる

教えたいことがあるっていう意思を

もっと出していいし

もっと個性が出ると楽しい

右に倣(なら)えで揃えたところで

歩む道が違うことは事実

学びに基準は必要ですが

限度は設けなくていい

 

 

 

話は逸れましたが

こんなにいろいろ考えるようになりましたよ先生。

考えるきっかけを与えることも学びの一環

そういう意味ではいい勉強になった

※社会人になって関数やら地理、その他教室で教われたことが

すっぽ抜けている私。ときたま苦労します。みんな授業は出ましょうね(;'∀')

 

 

 

 

 

不思議なことに

幼いころから

人間みな人間

そう思っている。

そんなふうに思うきっかけは映画館で

いかついオジサンが僕の横で

泣きながらアルマゲドンを観ていたときだった。

新聞屋さんが映画のチケットをくれるいい時代だった

幼い僕を連れていく母親は大変だったかな?

 

 

つまりは、

チカラや権限、資金力や年齢

違いはあれど

みんな人間

痛いとか辛いとか悲しいとか

ちゃんと感じるもの

でもなぜかわすれてしまうことがある

 

 

廻りを見渡せば

他人を人間扱いしていない言動がある

 

これこそ道を外れた

外道だろう。

 

己が外道ならば

歩く道はきっと平坦じゃなくなる

荒れた道を均す労力は計り知れないもの

他の人の道まで荒らすことは決してすべきでない

 

想いあればこそ、厳しい言葉は活きる

特に厳しいことを言うとき

相手を思う気持ちを忘れちゃいけない

 

そうでないと

それはただの暴言になる。

これまで何度も言われました

話は最後までちゃんと聞け

何度も逃げてきた、理解したうえであらがうほどの勇気も材料も当時は持ってなかった

せいぜい屁理屈か無視くらいが関の山だった

 

 

今更ながら思うことがある

 

ちゃんと発言に責任をもっていたあの先生

ひどい言葉をあえて選んだことに凄みを感じる

そしてちゃんと回収してくれた

なんでもかんでも覚えていられるわけじゃないけど

遠慮することなく、馬鹿にすることなく

一人の人間として扱ってくれたことに敬意を証する

 

恩返しのしかたも教わっておけばよかったな。

今度聞いてみようかな

痒くなるかもしれないけど

いつまで先生させるつもりなのか( ´艸`)フフフっ

 

 

 

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