かずちゃんって、こういう人 | やさしいカウンセリング 心屋*東京都

やさしいカウンセリング 心屋*東京都

東京で活動している、心屋認定カウンセラーです。
元・保育士、元ひきこもり。

現在、親子(父・子)でカウンセラーとして活躍中♪

かずちゃんに興味を持っていただきまして、

 

ありがとうございます(^^*)

 

 

このページでは、プロフィール欄に書ききれなかった

 

細かな自己紹介をしたいと思っています。

 

 

 

書き方に迷いましたが、

 

オブラートに包んでも仕方ないなと思い

 

当時の自分を振り返りつつ、かつての自分が感じていたこと、考えていたことを

 

なるべくそのまま書くようにしました。

 

 

悲しかった、辛かった…という思い出もあるので

 

気になってしまう方は読まないでくださいねほっこり

 

 

 

このページを見てくれた方が

 

私や、私たちの活動に興味を持ってくれたり

 

ここに書いたことが、少しでも誰かの役に立つヒントになったら

 

嬉しく思いますニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、自分の思いを、生き方を

 

他人に変えられたくなくて(変えられてしまいそうで)必死に抵抗していた時期がありました。

 

 

それは私が

 

「自分の考えなんて誰も分かってくれない!」

 

と強く思っていたから、

 

その通りの現実が私を中心にできていたのですけど、

 

渦中にいる時は気づきもしなかったし

とても辛かったです。

 

 

誰か一人でもいいから、味方になって欲しい…!

 

当時はずっとそう思っていました。

 

 

悲しい心を自分の中に押し込めては

 

一人になると暴れたり、泣いたりしていました。

 

 

 

 

私は

 

私が意地になっていたやり方では、結局のところ上手くいきませんでした。

 

私が

いちばん受け入れたくない!

 

と、思っていた人たちの言うことを受け入れると決めてから

 

少しずつ上手くいくようになっていったのですが、

 

 

受け入れる、ということは

 

私にとっては とても辛いことでした。

 

 

プライドを捨てなければならなかったし、

 

自分が今まで頑張ってやってきたことが無駄だったことを、自分で認めることになるからです。

 

 

だけど受け入れる、ということをした時に

 

自分でも以外だったんだけど

 

心境が変わってきたんですね。

 

 

 

 

当時、私がいちばん受け入れたくない人たちというのは、両親でした。

 

 

私の父母は過干渉的なところがあって

 

過干渉かと思いきや突然の無関心。

 

都合が悪くなる時はなにも助けてくれない、向き合ってくれない、見捨てる、という親でした。

 

 

当時の私は、子どもである自分と向き合ってくれないくせに

 

指示だけをする、

 

指示以外の行動をすると、許そうとはしない両親に、強い不信感を持っていました。

 

また、私のことを両親が信じてくれていないかのように感じていたから、

悲しかったです。

 

 

 

 

今だから分かりますが

当時、父母は共に仕事が忙しい身でした。

 

 

自分たちの目の届かない所にいる、私のことが

心配だったのだと思います。

 

父母は、彼らの中にある不安の心を解消しようとして

 

私の人生を思うようにコントロールしたかったみたいです。

 

不安な出来事が起こらないように、彼らの管理下に私を入れておきたかったのでしょう。

 

 

 

私は、

 

両親が私の人生をコントロールしようとすることを酷く恐れていましたが

 

ある時、両親の言うことを、受け入れることに決めました。

 

それは、どうしても抗いようのない不幸がキッカケでした。

(今となっては、その不幸があったからこそ救われたのですが)

 

 

社会生活ができないくらい立ち直れなかった私に対して

 

両親は、色々としてくれました。

 

両親がとった行動は

 

やっぱり、ちょっと的の外れたトンチンカンな行動のように思えたけれど、

 

両親が私のことを助けようとしてくれていることが、分かるんですね。

 

 

 

トンチンカンなことをやっているな…とは思いつつも

 

この人たちは、自分のことを助けようとしている…ということが分かったとき

 

私は、もういいや~~っていう気持ちになったんです。

 

 

もう、これでいいや。

と思えたんです。

 

 

両親がトンチンカンでも、もういいや。

自分の人生が自分の思うとおりに上手くいかなくても、もういいや。

両親の言うことを聞いても、もういいや。

理解してもらえなくても、こんな親でももういいや。

たくさん頑張ってきたけど、できなかったけど、もういいや…。

 

 

 

もういいや~~って

 

変えたくて頑張ってきたことを、

変えたくて変えられなかったことを、

 

受け入れました。

 

 

 

受け入れたときに

 

私は思いのほか両親に愛されていることを、感じられるようになりました。

 

 

これは、受け入れてみるまでは

分からない感覚でした。

 

 

 

 

今の親子関係がわかる記事

(↑↑ クリックすると記事に飛びます。よろしければお読み下さい)

 

 

 

 

 

 

今はもう、かつてのように

 

自分が他人に変えられないように戦うことはしていないです。

 

穏やかな生活をしています。

 

 

 

もういいやって諦めてみてから気づいたのですが、

 

意外と自分って変わらないものですね。

 

 

もしかしたら、知らずのうちに変わっているのかも知れませんが

 

抵抗することを諦めたのにもかかわらず

 

当時 自分がおびえていたような怖いことには、なっていません。

 

おびえは、私が頭の中に作り出した世界。

 

現実とは違うようです。

 

 

 

それどころか今は

 

昔の私からしたら、考えられないくらい多くの人に

 

優しくしてもらっています。

 

 

 

自分の思いのみにこだわらず、

 

外の世界を、他人を受け入れた時。

 

ああ…自分って愛されている(愛されていた)んだなぁ、ということが分かるのだと

 

私は思います。

 

 

 

もし不安や思い込みから

 

外の世界を受け入れられない…、だけど受け入れたいんだ

 

他人を受け入れられない…、だけど受け入れたいんだ

 

という人がいたら

 

私は、その人たちの不安や思い込みを取り除くお手伝いをしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やしの木晴れやしの木 自己紹介 晴れやしの木晴れ

 

 

 

 

あらためて読むと恥ずかしいですね(^▽^;)

 

せっかく書いたから載せるけど

 

こっから先は、読まなくてもいいです!

 

ど~~しても気になるという人だけ見てください。

(自己責任でお願いします、笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

千葉県銚子市に生まれる。

生まれてから一週間、父親が不在だったため

田舎で飼われていた猫の名前をつけられ、呼ばれる。

 

一人っ子。

 

その後、東京都江戸川区に家族3人で住み、30年近くを過ごす。

 

 

 

小学生の頃は、運動よりも勉強の方が得意だった。

 

好奇心旺盛。

 

好きな本はファーブル昆虫記。

 

親がファミコンを買ってくれなかった為に、

ファミコンができる友達の家を渡り歩いていた。

 

自転車に乗れるようになったのは

小学5年生から。

 

やや肥満児で、

保険の先生が運営する〝スキップクラブ〟という

肥満児を痩せさせる秘密の集会に

出席させられていた。

 

3,4,6年の頃の担任は恩師。

いわゆる〝体罰〟を活用する先生だったが、

子ども達との関わりを多くとる

人間味のある教育をしていた。

 

野球クラブでキャプテンに推薦され、

人材運用の苦しさを知る。

 

運動会のマーチングでは大太鼓担当。

 

両親が共働き(小学校の先生)だったために、

鍵っ子だった。

 

夕飯の時、父母が自分の話を聞いてくれず

自分の知らない子ども(担任しているクラスの子ども)の話を

延々としているのが嫌だった。

 

父親はアニメ・巨人の星にでてくる

星 一徹みたいな人。

気に障るようなことをすると、ひっぱたかれる。

家から追い出されて鍵を掛けられることも多々あった。

 

私立受験をするために四年生の頃から

進学塾に通い始める。

 

基本的に、親の管理を受けて育った。

 

 

 

中学・高校は私立の男子校に通っていた。

通学時間は1時間20分。

 

同じ敷地内に

中学校と高等学校が両方建っている。

入学したての中学1~2年生にとっては、高校生という存在は

たまらなく怖い。

 

部活動はラクビー部。

5年間続けた。

高校では代理キャプテンを勤める。

 

〝男子校〟で〝ラクビー部〟という熾烈な環境ゆえ

悪いことがカッコイイという価値観が横行しており、

苦しかった。

顧問は放任主義。

ラクビー部よりも鉄道部の方に

友達が多かった。

 

部活を引退する際、ギリギリまで頑張っていたのに

顧問から「裏切り者」と吐き捨てられる。

 

この頃、友達の数がとても多かったものの

出口のない暗闇のトンネルの中を過ごしているような感覚だった。

対人関係において非常に気を遣っていた。

 

助けて欲しいという気持ちを抱えつつも、

助けてくれない

自分に向き合ってくれない両親を

憎んでいた。

 

16歳、夏。

田舎(千葉県銚子市)まで歩いて帰る。

両親や親戚に猛反対されるものの、決行。

3日かかった。

自分を管理しようとする、コントロールしようとする、すべての存在から離れ

純粋なる自分の想いを遂げたかった。

 

大学受験に失敗し、2度の浪人。

その後、中堅大学に入学する。

 

 

 

大学入学後、期待していた大学生活を送れず失望。

 

大学卒業を期待されるも

2年後、大学を中退。

 

小・中・高校の頃のすべての友達と

自ら縁を切り、長い引き籠もり生活を送る。

 

引き籠もり生活中に心理学の本を読みあさる。

蔵書は2000冊ほど。

 

この頃は、

自分の心の苦しみの原因は両親にあると信じていた。

 

 

 

27歳、強制終了。

 

両親に対する憎しみの気持ちを処理できずに、

風呂場で倒れる。

呼吸困難になり、死を連想する。

裸のままリビングまで走り父母に助けを求める。

 

葛藤を抱えつつも、

十何年間憎しみ続けた両親に

助けてもらうことを決める。

 

精神科や、カウンセリングに通うも

いまいちピンと来ない。

 

助けてもらう内に、両親と話ができるようになる。

 

 

 

28歳、保育士資格を取るために

専門学校に通う。

親にお金を出して貰う。

 

10歳、年の離れた友達ができる。

 

〝見守る保育〟という保育形態について研究をする。

 

首席で卒業。

 

保育士資格、幼稚園教諭免許、社会福祉主事任用資格、キャンプインストラクター etc

の資格を手に入れる。

 

 

 

卒業後、新設の保育園に就職。

 

多くの子ども達の〝本音〟の声を聞き、共に過ごす。

 

その反面、一生懸命に保育をすればするほど、人間関係の風当たりが悪くなっていくのを感じる。

 

保育園内で人間関係のトラブルが発生し、5人の職員が辞める。

 

保育園が、自身の定めた保育理念に基づかない保育を容認しはじめた時、

不安から退職を決意。

 

 

 

35歳、心屋塾プロマスターコース(コバマス77期)を受講。

 

マスターコースを卒業。

 

心屋流リセットカウンセリングマスターの資格を手に入れる。

 

〝問題〟はそれを問題だと思った人の〝問題〟だということが分かり始める。

 

現在、両親とはいい関係を築けている。

 

カウンセラーとして活動を開始。

「なんだか話したくなる」

「安心する」

と評判をいただく。

 

セミナーの開催、オープンカウンセリングのデビュー、

ラジオ出演 等、活動の幅を広げている。