書きたい書きたいと思いつつ、

難しい内容なのでもう少し、頭の中がまとまってから、

と思っていたことがあったのですが、

パリオリンピック開会式について、

面白い記事が飛び交っているので、

それにあやかり、思いついたことを。

 

 

パリオリンピック開会式では、

マリー・アントワネットが自分の生首を持って

なんやら歌を歌っている姿が不気味、不謹慎、グロテスク

とか、

最後の晩餐(キリストがはりつけの刑になる前に

弟子達とした最後の食事風景)の描写が

キリスト教を「やゆ」する。

という批判が飛び交っています。

 

マリー・アントワネットの生首姿は、

何を言いたかったのかよくわからないのですが、

フランス革命の象徴とでもいいたいのか。

また、最後の晩餐について、不快な表現をすることは、

キリスト教にとらわれない、新時代を表そうとしたのか。

 

その真意はよくわからないのですが、

いずれにしても、

キリスト教会からは抗議の言葉が出ているとか。

 

 

自由と多様性という意味で、乗り切ってしまうのが

いつものフランス流なのでしょう。

以前も、どこかで

イスラム教の預言者マホメットの風刺画で

大論争が巻き起こったことがあったような。

 

 

そこで、ベートーヴェン。

ベートーヴェンも、当時のキリスト教会に対しては

そのままでいいとは考えていなかった人。

時代の大変革を求めていった人物です。

あくまで当時の「教会」「政治」に対してです。

ゲーテもそうですよね。

 

 

現在、歴史上、

キリスト教会が、実は市民に向き合ってこなかった、

市民から搾取してきたという歴史は法王も認め、謝罪をしております。

(正確な表現でないですが)

 

 

ベートーヴェンが、バッハのフーガをそのまま受け継ぐことはしなかった。

それは教会音楽そのものだという意味もあるし、

時代としては古いのでそのまま使わない。

 

 

だからといって、

ベートーヴェンは、諸先輩の作品を揶揄したり、

破壊することは決してなかった。

受け継ぎつつ、もっと素晴らしいものを作って時代を変えていった。

 

 

現に、私の知人の、

ピアニスト兼音楽大学ピアノ科大学教授を務める方は、

こう述べておられた。

 

ベートーヴェンのフーガは、

特にピアノソナタ第31番3楽章のフーガは、

バッハを超えていると思う。

 

バッハほどに縛られないベートーヴェン独自の

自由さを持ったフーガです。

極上のフーガと言ってもよいような作品となっています。

 

 

 

どっちが上か、なんて上下関係を申し上げるつもりは全くありませんが。

 

ベートーヴェンは、

新しい音楽を作り多くの改革をしていきましたが、

バッハ、ハイドン、モーツァルといったそれまでの伝統を

破壊するということは決してしなかった。

 

 

もちろん、バッハは偉大ですよ。

(オリンピックのバッハ会長ではありません)

 

好きなどというレベルの音楽ではない、

言葉では尽くせないものすごい音楽がバッハにはたくさんあります。

それはそれ、彼の生きた時代の賜です。

 

 

彼らから学び、発展させる。

もっといいものを作る。

 

そうしてくださいよ~!