昨日は、珍しく、ピアニストの清塚さんが司会をする番組を

見ました。

 

 

ベートーヴェンがテーマだったので、

放っておけばいいものを、

どんなことが語られるのだろうと、見てしまいました。

(録画ですが)

 

 

暗い子ども時代が紹介され、

それは、恐らくそのとおりだと思います。

 

祖父は有能な歌手(テノール)で宮廷楽長。

当時は、作曲家でなければ宮廷楽長にはなれなかったです。

歌手が宮廷楽長になるのは異例中の異例。

ベートーヴェンの祖父はよほど優秀かつ人望ある人物だったと言われております。

(番組では、そこまでは語られていませんが。)

 

 

しかし、

幼いベートーヴェンに対する父親からのスパルタ教育。

酒に入り浸る父。

17歳で母を亡くす。

 

それは、恐らくそのとおり。

ベートーヴェンの暗い人生の始まりと言わんばかりの。

 

 

番組では、

「ウィーンに出る前のベートーヴェンは、

貴族の協力を受けるようになる。」ということが

清塚さんの言葉でちらっと紹介されました。

 

 

しかし、この一言で終わってしまいました。

ですが、実は、この協力した貴族というのが

ベートーヴェンに与えた影響は実に大きいのです。

 

その貴族とは、主にブロイニング伯爵家のことです。

この家には、ベートーヴェンと同年くらいの子どもが4人おり、

ブロイニング伯爵夫人(母)は、ベートーヴェンを我が子のように

招き入れております。

子ども達とは兄弟のように仲良くなります。

ベートーヴェンは、1日のうちの大変に長い時間を

この家で過ごしたとも言われております。

幸せですよね。

 

 

平民であるベートーヴェンが学べなかったマナーや

教養をここで学んでいくのです。

 

当時は、平民には教養を持つ機会はなかった。

本は高価なもの。

(平民の台頭は、もう少し先です。)

 

 

貴族の家には著名な人が出入りもするので、

ベートーヴェンの終生の友となるような人とも知り合う。

大学の聴講生にもなり、カントや、恐らくシラーやゲーテのこともここで学ぶ。

 

 

ベートーヴェンがウィーンに出てからも、子どもたちとの交流は続き、

それは死ぬまで変わりません。

 

中でもベートーヴェンの4歳年下シュテファン・フォン・ブロイニングとは

交流がとても深いです。

 

 

ベートーヴェンの最期を看取った、

伝記に必ず出てくる有名なゲルハルト少年は、

このシュテファンの息子です。

 

 

参列者2万人という、ベートーヴェンの盛大な葬儀を執り行ったのも、

シュテファンたち。

 

シュテファンは、自分も大病を患っていたのに、

偉大で大切な友人ベートーヴェンの盛大なる葬儀を執り行うために奔走し、

ベートーヴェンの葬儀を終えると後を追うように亡くなってしまいます。

 

ゲルハルト少年は、一気に、

ベートーヴェンおじちゃんと父を亡くしてしまった。

 

 

家庭環境が悲惨で、そのまま暗い人生を送る子どももいるけれど、

家庭から脱して外の世界で良き環境に恵まれて

素晴らしく成長していく子どももいる。

 

 

ブロイニング伯爵家の存在は、

作曲家ベートーヴェン誕生になくてはならないものだった。

 

 

ベートーヴェンは、短調の曲ばかりが強調されがちですが、

曲の数からすれば、圧倒的に長調の朗々とした曲の方が多い。

 

 

短調の曲でも、メランコリックさは無く、弱々しさもないと思います。

(もちろん、例外もありますが。)

力強く、闘う強い精神力がある。

 

 

作曲した曲は、誰かに献呈しますから、

じめじめした短調の曲は良くなかった、

という事情もあったんだとは思います。

 

 

などなど。

清塚さんの、ベートーヴェン ピアノソナタ1番1楽章の演奏は、

すごく良かったです。

勉強になりました!

 

 

ではまた。

ありがとう  ウインク ウインク