自分の中の悲しみが大きかったとき。

悲しみを理由に逃げていたとき。

悲しみを理由に自分を正当化していたとき。

 

 

 

 

 

「人のために何かをする。」

そのことを考えることが難しかった。

というか、そういう発想になれなかった。

 

 

 

 

 

「人のために何かをする」よりも、

自分のために、何かをやって欲しい

やってもらいたい

という気持ちばかりが大きかった。

 

 

 

 

 

欲しい。

 

 

もらいたい。

 

 

 

 

 

その裏にあったのは

「自分には、まだそれが足りない」

という不足感だったんだろう。

 

 

 

不足感は不安を産み、

そのちいさな火種は簡単に煽られ、

たやすく心を支配する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログにも書いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝のブログを書いてから、

もし私が悲しみを理由にして逃げているときに

今のロシアのウクライナ侵攻を見たら

どう感じたのかな、と思った。

 

 

 

 

 

見てみないふりをしたかもしれない。

ニュースを見ないようにしたり。

 

 

 

 

 

どこかへ寄付をしようと思っても、

多額の寄付はできないからなぁ とか

どこへ寄付をすればいいのか、わからないからなぁ とか

そういうことを理由にして、また何もしなかったかもしれない。

そうやって自分の日常へ戻っていって、

行動としては何も変わらないまま。

でも自分では、調べたつもり。考えてるつもり。

そんな感じだったかもしれない。

 

 

 

 

 

はたまた

そもそも寄付なんかよりも、

自分の欲しいもの、やりたいことにお金を使いたい!

寄付なんて、偽善でしょ?

と思ったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しみを理由に、何もしなくていい。

自分のことだけを考えて

自分の欲だけを満たしたい。

って思うことも自由だけど、

今の私は、自分のできることを少しずつやりたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思えたのは

ある人の行動を見たからだと思う。

 

 

 

 

 

少し前に

あるサービスを提供した人が

収益は(運営費用を除いて)すべて、寄付します

と謳っていたのを見た。

 

 

 

 

 

衝撃だった。

アメブロやインスタ、facebookなどで私の目に入る、ビジネスをしている人で

今までにそんなことを謳っている人は

いなかった。

ネット上で繋がったり、サービスを提供する人はみんな

自分(の生活)のためにビジネスをするもんだ

そこに疑いの余地はなかった。

1時間で数万円、中には数十万円なんていうサービスも

ざらにあって

それらを提供している人はみんな

ハイブランドを身に纏っている。

贅沢をするために稼ぐとか

承認欲求を満たすために稼ぐとか

理由は色々あるんだろうけど、

そのすべては自分のため。

自分の欲のため。

それを満たすためにビジネスをする。

そこに漂っている空気は

今の私にとっては、

全く気持ちのいいものとは感じられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寄付をすると言うその人もきっと

自分のためだよって言うだろうし、

突き詰めて考えれば自分のためっていうことになるんだろうけど、

その「自分のため」と

贅沢をするための「自分のため」は

違うと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その人はきっと

稼ぐためにそのサービスを始めたわけではないんだなと

私は思った。

でも、それはイコール

楽をするとか、手を抜くとかとも全然違って

本当に自分がやりたいことで、

自分が役に立てると思っていることで、

本気で、人のためになることを

人の役に立つことを

やろうとしているんだと思う。

 

 

 

 

 

私は今まで、

そういう人を見ると

「それが見つかっている人はいいよね」

っていう気持ちにもなることがあったけど、

本当に憧れるなら、それに近づくためにやるだけなんだ

とも思うようになった。

 

 

 

 

 

私がその人だったら、

今の自分に出来る範囲の寄付をするだろう。

と思ったから、実際に寄付をしてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しみを理由にできるって

平和だからなんだよね。

恵まれているからなんだよね。

命の危機に晒されていたら、

そんなこと言ってられない。生きるためにできることをやるしかない。

ってなるはずで。

悲しみを癒すことも大切だけど

癒えた今、私は、人のために動くこともできるはずなんだ。

 

 

 

だから、今の私にできることをやってみる。

 

 

 

 

 

今回、

いいな。と思った団体へ寄付をしてみた。

してみたけど、後から

やっぱり違ったな。と思うかもしれない。

そうしたら別の方法を考えればいいし

1回の寄付で終わらずに、継続していかなければならないとも思う。

だから、行動し続ける。

そして、考え続ける。

それが、今の私にできることだから。

 

 

 

それで、実際に寄付をやってみたら

やらなかった時よりも

「わたし」をしっかりと感じられたような

そんな感覚になった。

自分でやろうと決めて、実行できたことに対する信頼なのかな?

自分が良いことをしているっていう自信

というよりも

ますます、自分は自分のやるべきことをやろう。

っていう気持ちになれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、

最近自分の考えることが

かつて父からクドクド言われていたこととそっくりで

めっちゃ、イヤ(笑)爆笑爆笑爆笑

(悲しみを理由にできるのは平和だから。とかね。

もちろん言われていた頃は、まーったく理解できていなかった。)