今日 2022年2月28日は

私が、というよりも私の周りの方たちが

『終わり』を迎えられた

そんなことを感じた日でした。

 

 

 

 

 

 

先週末に会社の掲示板に

3月初旬に退職

と掲載された方がいた。

(おそらく定年退職)

 

 

 

 

 

その方が、昨日亡くなったという知らせが

今朝 掲載されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その方とは直接会ったことがなかったけれど

電話で短い言葉のやり取りをたまにしていた。

それを3年近くしていたので、

退職されることにも ほんのり寂しさを感じていたんだけど、

亡くなったという知らせには衝撃を受けた。

 

 

 

 

 

もう会えない。

生きていれば、いつかどこかで。って思えるけど

それはもうない。

昨日までは いたその人が

今日は もういない。

いつでも会えることが、当たり前ではない。

当たり前なのに、いつも忘れている。

 

 

昨日一緒に居た子供とも

次にまた笑って

無事に会えるかなんて、誰にもわからない。

そんなことも思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

定年まで勤め上げた、全うした。

長年背負っていた肩の荷を下ろして

気持ちが切れてしまったのだろうか。

 

 

以前の私ならきっと

「仕事するだけで終わってしまう人生なんて、可哀想。

これからやりたいこともいっぱいあったろうに。」

と同情していたかもしれないな、と思う。

 

 

 

 

 

でも今の私は

その方のことを、

全うされたんだな。

格好いいな。

そう思った。

 

 

 

 

 

本当のことはわからない。

その人のことを、深く知る機会もなかったし

私は知ろうともしなかった。

 

 

でも、

自分の仕事を全うして、やり切った。

そんな想いだったんじゃないだろうか?

そんな想いとともに

眠りについていたのなら いいな。

 

 

そんなふうに思った。

そんなふうに 願った。

 

 

 

 

 

もう会えないけれど

私の中にある、その人のことを格好良いなと思った気持ちは

ずっと持って行こうと思う。

その人とやり取り出来たこと、忘れずにいたいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてもう一人。

 

 

ずっとブログを読んでいた方が

今日でブログを閉じられる。

ブログそのものを消去されるそうなので

もうその人の言葉を見ることは、ないのだと思う。

インスタもfacebookも 退会されてしまっていて

「自ら発信する」

こと自体を辞めると決めている方なので、

これから私は

その方がお元気なのか、

どんなことを感じながら過ごされているのか、

知る術はなくなるんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その方が

最後の記事に。と書かれていた言葉。

その言葉が、私の心をとらえて離さない。

 

 

 

 

 

どうか正しく生きてください。

人は遊ぶため楽しむためだけに

地球に生まれたわけではありません。

 

 

楽しむことももちろん大切なことです。

 

 

ですが、

それだけではないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼滅の刃の映画を観たとき

私は、煉獄さんの良さがわからなかった。

煉獄さんに、共感できなかった。

 

 

 

 

 

それは、彼が

「責務を全うする」

という意思を何よりも強く持っていたから。

彼は、正しすぎた。

楽しむことだけを求めていた私、

間違いだらけの私には、

彼は、正しすぎたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はずっと

責任とか責務というものから逃れたくて仕方がなかった。

責任とか責務は

誰かから押し付けられるようなものだと思っていたし、

そんなものは重すぎて、自分を不自由にしかしないものだと

『悪』だと思っていた。

 

 

 

 

 

 

私は 自由なのがいいよう!

私は 楽なのがいいよう!

私は 楽しいのがいいよう!

私は 遊んでいたいよう!

 

 

 

 

駄々っ子みたいに

あっかんべーして逃げ回っていたんだ。

自分は正しく生きられないと思っていたし、

それを望んでいなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな私だったけど

去年の10月に

初めて責任というものを引き受けようと決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正しく生きたくない」

そう思ってきたけれど

正しく生きなければいけない、そんな状況になった。

 

 

 

 

 

その後どうなったか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今では、ゆーりんから

「責任感強すぎるよ!それ、ゆいちゃんの仕事じゃないでしょ?」

と言われるぐらいに、責任感に溢れている(笑)

デートの時間がどんどん削られてご立腹のゆーりん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

責任を引き受けてみて、

私は、責任を引き受ける生き方の方が

自分の性に合っていると感じるようになった。

 

 

 

ずっと 引き受けない生き方をしてきて、

それから引き受けてみたから、

その両方を経験できたことは良かったとは思う。

でも、責任て、誰かから負わされるものでもなければ

私を不自由にするものでも、雁字搦めにするものでもなかった。

責任は 『悪』 ではなかった。

 

 

 

 

 

責任があるからこそできること。

責任を全うしようと努力すること。

その努力を通じて見える世界。

その責任を持って、生きていきたい世界。

その世界への扉が、間違いなく開いた。

そのことが、私の心を更に燃やす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正しく生きよう」

今の私はそう思う。

自分の中の正しさを守る。

間違ってもいい。

誰かから理解されなくてもいい。

でも、自分の正しさを守ることが、私の責務。

私は私の責務を全うする。

私のやり方で、私の周りを守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私をつくっているものは

私だけではなくて、

私という肉体を通して見た、たくさんの人。

そのたくさんの人たちの言葉なのだと思う。

今日でブログはなくなるけれど、

その人の紡いだ言葉達は、私の中に種となって植え付けられていると信じたいし、

いつかどこかで私のことを見て

そう思ってもらえたらとても嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼滅のアニメ、遊郭編が終わったので

もう一回 無限列車編から見返してたんだけど、

(子供と一緒に)

前と感じることが違ってておもしろい。

煉獄さんの格好良さが初めて理解できた!

それにしても本当に味わい深い漫画だよなぁ。

『大切なことはみんな鬼滅の刃が教えてくれた』シリーズができそう。