この週末は娘たちと過ごしました。
 
 
およそ「子育て」と言われることはすべて放棄して
私は彼女たちにとっての「生物学的母親」でしかない現在です。
 
 
辛いことはいろいろあったけど、
やっぱり一番辛かったのは
自分でそのことを責め続けていたことだったと思います。
 
 
今日は3人でカラオケに行ったのですが
「そういえば1年ぐらい前に、カラオケ行くことにすごいザワついたな」と思い出したのです。
 

 

ひろみさんの朝活に参加して、アドバイスをもらいながら

そのことについて書いたノートがこれです。

汚くてすみません。

 

事実は

『娘からパパがカラオケはあんまりなって言ったという話を聞いた』ということだけです。

それに対して私から出た感情は

「イラっ」

でした。

(後は私の中での勝手な妄想と思考)

 

 

 

じゃあそれ感じたのってなんで??

に対しての答えがこちら

「私はダメな母親」
「私は頼りない人間」
「真剣に生きなければいけない」
「母親は正しく生きなければいけない」
「私はダメな人間」
はい、自分責めのオンパレードwww
 
 
そしてその横に、
それがイヤなら、どういう設定なら嬉しい、楽しい、心地いい?
ということを書いています。
「どんな母親でも愛される」
「リラックスしてもいい」
「まちがってもいい」
と書きました。
 
 
 
これを書いた1年後の今、
その世界を私は生きていると思います。
娘たちからの暑苦しいぐらいの愛情を感じるし
リラックスして子供たちと過ごし
私がまちがっても別に娘たちから怒られないし、逆に娘たちのちょっとした粗相も気にならないぐらい寛容でいられます。
(以前は毎日鬼婆のごとく怒っていました。
今日も次女から「ママ、前は毎日怒ってて鬼みたいだったね」と言われました!笑)
 
 
別になにも環境は変わっていないのです。
私の感じ方が変わったのです。
よりリラックスして生きられるように。
より安心して生きられるように。
より幸せを感じて生きられるように。
より感謝して生きられるように。
 
 
 
カラオケで、長女が宇多田ヒカルの『花束を君に』を歌いました。

 

ちゃんと歌詞を読んだことがなかったのですが

途中から涙が出てきました。

言いたいこと 言いたいこと
きっと山ほどあるけど
神様しか知らないまま
今日は贈ろう 涙色の花束を君に

 

 

人が言っていることと、思っていることは違うのかもしれない。
と最近思います。
私は思っていることを言葉で伝えることがとても苦手で
だからこそ、私以外の人はみんな上手くできるのだと思い込んでいたのかもしれない。
私だけができないのだと。
みんな思っている全部を言葉にできているのだと。
だけど本当は言っていることがすべてとは限らないし
言わない愛情もあるのかもしれない。
神様しか知らないままのことが
世界にどれだけあるんだろう。
 
 
 
歌ってくれた長女に感謝です。
私が知らない曲を「学校で歌ったよ」とたくさん歌ってくれました。
私の知らない世界で、私の知らない経験をしているんだなぁと嬉しくなりました。