当たり前と現実 | merlinus-stonehengeのブログ

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光があれば影があり、昼があれば夜がある。

 

お疲れ様です。

 

箸休め的な意味も含めて、軽い内容の話を書きます。

昨今の【当たり前】を真に受けた人が、結果どうなっていくのか。

 

さて、今の時代SNSで普及している共感の言葉。

例えば蛙化現象や脱毛、マナーや過大なバッシングなど挙げれば暇がありません。

これらは日本のどこかで起こった話、決して自分の体験談ではないのです。

 

勉学するにも話すにも、私たちは日本語を使います。

日本語特有の癖や、日本語特有の考え方は当然ベースに組み込まれます。

本来は言霊や犠牲といった内容も、日本の中では通常思想の一部でした。

 

さて日常使いで使われている言葉には、その人の考え方の解釈が宿ります。

即ち自らが自らを動かす言葉という訳で、スピリチュアル関係なしにこの概念はあります。

まあ理解し得ない事は、全て魔のせいだと思う人は一定数いますが。

 

見たいものを見て、信じたいものを信じた。

その結果、理想と現実の区別がつかず狼狽え、貴重な一生を自ら進んで破滅させる。

これは犠牲ではなく、ただの無常です。

 

見た出来事を勝手に信じ、それが当たり前だと現実に説き伏せた。

結果現実から突き放されたとき、また見た出来事に妄信しまた現実を説き伏せに行く。

このサイクルのどこに、礼や義や善が存在するのでしょうか。

 

しかし実を言えば、それは日本の環境にも一因があるのやもしれません。

敷地という安全地帯は、裏返せば現実は他人の所有するもので満ちている。

理想でしか自己発言ができない封鎖された社会は、さながら幕末開国前の日本でしょうか。

 

そして縛りも存在する。

日本人が愛してやまないルールは、本当に日本人が日本を思って作ったものでしょうか。

全ての事には意図があり、意味がなくてはやらない筈でしょう。

 

こんなにも沢山すれ違うのに、私たちはひた隠しに生きて、何も知らない。

その現実に見たいものを見て、信じたいものを信じた。それは独りよがりの精一杯の努力でしょうか。