今日は独り言blogです。

 

「私の考えを正直にお伝えしますのは

これが最後ですので、率直に申し上げます。」

 

メールを整理していたら、

数年前、

息子が通っていた塾の先生に対し

こんなことを書いている私がいた。

 

この後の私の文章には

短いけれど、

当事者なら背筋が凍りつきそうな

辛辣な言葉が並んでいた

 

とってもお恥ずかしいのですが

 

私が人とのご縁を紡ぎ育んできた道では、

しばしば、

こんな形で他人様と縁を切る場面がありました

 

 

「これが最後ですので、率直に申し上げます」

 

この決まり文句が湧きあがってくるまで、

私は大抵のことは呑み込み、

限界まで抗わない人間だった。

 

母としても

「あのお母さんなら

何も言わないから大丈夫」

と思われがち。

 

そう、普段は何も言わない。

 

少々馬鹿にされようと、

少々都合よく利用されようと

少々嘘を重ねられようと

 

笑って呑み込む。

 

その代わり

 

自分や子供の尊厳が脅かされる、

と限界を感じた瞬間に

別人のように大鉈を振る。

 

そんなイメージだ。

 

 

 

 

歳を重ね、

スピリチュアルな世界に生きていると

 

この「縁を切る」という表現にも違和感を感じ

 

縁が切れるも切れないも

流れに身を任せるようになった



「いまさら」ですが


冒頭のメールを読み返し


自戒の念と共に

 

普段から」自分を大切にしていれば、

育み続けられる縁もあっただろう、と

思うのです

 

今更謝罪もできないけれど、

この時だって塾の先生は悪くないのだ



 

結局、相手は自分の「恐れ」の投影でしかない



相手が酷いことをしてきたとしても、

その原因は

自分の恐れにあったりする

 

恋愛において

自分自身を愛しきっていないと、

 

お相手を疑ったり

お相手の気持ちが気になって仕方なかったり、と

常に「心がざわつく」のと一緒で

 

外側の全ては

自身の内側の投影なのだ

 

おっきな課題の投影なのだ

 

 

 

こんな書き方をすると、

 

「自分を愛しきる、なんて無理!」

と聞こえてきそう?

 

それでも、

本当にあなたが「心の安寧」が欲しいのなら、

 

今日より明日、今より次の瞬間、

一歩ずつでいいから

自分を愛していくしかない

 

仕事も恋愛も対人関係も

 

あなたが「自愛」の学びを深め

その愛を与えることで

偉大な循環が生まれていくのだから。

 

昔、愛を受け取ってこなかった人は

 

「安心して頼れる人」

「安心して愛せる人」

なんているわけない!

 

エゴが叫ぶでしょう。

 

「どうせ信じても裏切られる!」

 

悲痛な声が聴こえてくるでしょう

 

 

 

それでも、あなたのなかにまだ

「人を愛したい」という希望があるのなら!

 

「きっと安心できる人はいるから、

 探してみよう」

 

って、マインド

今から変えていくしかないのです




 

ご自分を愛した分、

かならず

周囲から大切にされます

 

ご自分を愛した分、

いかに

お相手に愛されていたかに

気づきます

 

 

一歩ずつでいい

 

わたしもまだまだ道の上。

 

恐れを手放す道へ!

 

私と共に、力強く歩んでいこう

 

a.Michell🌈