東海道五十三次東下り 宮宿~鳴海宿
2017年11月中山道で日本橋をめざした 街道歩き 2020年三月には
埼玉県 浦和まで踏破した。そのころ 日本中にコロナ感染が蔓延しており
外出が自粛、中止となり日本橋の一歩手前で延期となってしまった。
最近やっと感染も下火となり再開することとした。熱田の宮宿から始め 日本橋 まで
目指すこととした。相手してくれるのはひとり 女房と二人 どこまで行けるのか 体は持つのか
心配は尽きないが頑張ってみることとしました。
出発日 2021年11月26日 金曜日
経路 愛知県 宮宿 ~ 鳴海宿
熱田 七里の渡し場 跡
東海道53次はここ熱田から三重県の桑名まで海路であった。陸路は佐屋街道です
熱田湊 常夜灯 時の鐘が再現され当時の雰囲気が再現されている
明治29年築 料亭 魚半跡 名古屋市有形文化財
ほうろく 地蔵
今年11月21日に中日新聞地方版にあいち民話を訪ねてで紹介された
ほうろく地蔵さんです。熱田の 南 一号線と19号線の交差点にいます
むかし三河の重原村(今の知立)にいたほうろく売りの太助がほうろくを
売りに出た。その日はほうろくが少なく てんびん棒の片棒にお地蔵を結わえ
宮宿まで売りに出た。その日は飛ぶように売れお地蔵さんのおかげとおもい
背負って帰ろうとした がひもの持ち合わせがなく ほうろくを頭にかぶせ帰った。
三日後地蔵様を持ち帰ろう としたがびくとも動かない 人どうりが多いこの地が
気に入ったのかもしれない。太助はその地において帰った。 残されたお地蔵さまは
いつしか花や線香がそえられ ほうろく地蔵と呼ばれるようになった。
東海道 佐屋街道 追分道標
織田信長が桶狭間の戦いで東方に上がるのろしを確認した上知麻神社が
すぐ前にあった。戦後熱田神宮ないに移った。
北に向かう交通量の多い 国道 19号線
新堀川、山崎川 をわたります
笠覆寺
通常 笠寺観音 天文18年 1549 織田家に人質にされていた竹千代 後の徳川家康
と今川家にとられた織田信広 信長の兄 の人質交換が境内で行われた
笠寺の一里塚
天白川
鳴海宿に入る
鳴海宿内 枡形
一日目終了
街道あるき一日目がおわりました。中山道はツワーでたくさんの人と歩きます。
ガイドさんとツアーデレクターで困ることは何もありません。
本日は妻とふたり 一番困ったのはコースアウト 二回したこと。渡る橋を間違えて二十分
くらい ロスした。おかげで行きたかった東光院 安泰寺など行けなかった
次回からは本日の反省をして もっと楽に行けるように 計画していきます。