古城 めぐり   明智城  | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

古城めぐり

 

訪問地  岐阜県可児市瀬田  明智城

訪問日  令和二年五月二十九日 水曜日 晴れ

麒麟がくる ぎふ可児 大河ドラマ館  明智城

 

大変な年になりました。新型ウイルスコロナの蔓延で亡くなった人ご冥福申し上げます

入院されている方お見舞い申し上げます

緊急事態宣言解除された昨日久しぶりに出かけました。今年は明智光秀です

織田信長の家臣でありながら本能寺で討った人と日本の歴史上 逆賊としてながく

良い評価を得られず しかし近年見直されつつ今年の大河ドラマの主人公に挙げられた。

視聴率も高く近年の大河の中でも秀作となかなかの評価が上がってます

実際岐阜美濃で生まれますが前半はよくわからないことがおおい謎の人物とされています

源氏の子孫が美濃に土着土岐源氏 美濃の守護として1342年土岐頼兼がここ明智荘

に城を築いたのが始まりで 以後 明智 の苗字を名乗ったとされます この一族が

明智光秀につながるとされ現在瀬田地区に神社、寺がおおくまた東屋敷 西屋敷 大屋敷

など地名が残っており有力な武士の存在がうかがえます。

光秀の叔母が斎藤道三の正妻小見の方で濃姫と光秀はいとこ同士で道三の影響をおおく

受けたようです 光秀後に発揮する知識、教養、人脈の土台は明智一族の後継ぎとして

明智のこの地で受けたことが推測されます

 

 

花フェスタ可児

 バラの花が園内 素晴らしく咲いています

ぎふ可児大河ドラマ館

大河ドラマ館から徒歩で20~30分で明智城本丸までいけます

当時の雰囲気があります 農道を進みます

明智城 大手門 入口にきました

石畳の気持ち良い登城路 です

光秀もくぐった 大手門 跡 です

地元可児市の史跡保存に感謝します。 よく整備されてます

本丸下の 切岸 

本丸 へ 登ってきました

明智城 本丸跡 石碑

弘治二年1556年明智光秀の叔父明智光安が城主のとき斎藤道三の嫡子

稲葉山城主 斎藤竜興の攻撃を受け落城した。 光安は自害して果てる前

若き 光秀に再興を託した。落城の際光秀は親戚を頼り西美濃に落ちのびて

言ったとされてます。

七つ塚

落城の際戦って亡くなった七人の塚があります

明智の荘

下山の路

歩きやすく見学し易い  皆さんも行ってください

六親眷属幽魂塔

昭和48年8月地元の方が地面からわずか5センチほどみえる石を

不思議におもい堀かえし発見した 明智一族を慰霊する石塔です

逆臣明智一族を慰霊することが見つかれば重き処罰を受けることに

違いなく埋めたことでしょう。この地の住民がこんな目くらまし迄して

明智一族を慰霊したことは歴代明智城主が地元には善政を施し

領民から深くその徳を慕っていた何よりの証拠と思われる

天龍寺

明智一族と関りが深い寺院  毎年6月には光秀供養祭を行っている

明智氏 歴代の墓所

明智城 周辺マップ

終わり