中山道踏破 (34) 鴻巣宿~桶川宿~上尾宿~大宮宿~浦和宿 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

中山道踏破34回目です

 

新型コロナウィルスが世界を蔓延してしているなか中止が心配

されましたが中山道街道歩き行ってきました。

滋賀県の草津を一昨年11月に始めまして次回が最終回となりました。

いよいよ東京日本橋です。思い出がいっぱいできました。今回は埼玉県の

中央部大宮市、浦和市をあるきます 当時も賑わったことでしょう中山道が

現代の都市に思いをめぐらし三日間あるきました

 

歩いた日   令和二年3月21日~23日

場所      埼玉県 鴻巣市 北本市 上尾市 大宮市 浦和市

距離      約31キロ

 

 今回は新幹線で小田原に向かいました  小田原からはバス移動です

新幹線 小田原 駅です

前回歩いた 荒川です

本日の昼食会場です

前回の最後 JR高崎線 北鴻巣駅 です。

今日も23名で出発です

宝持寺

渡辺綱が父と祖父の菩提を弔うため建立。渡辺綱が奉納した剣がある

源頼光 四天王のひとり羅生門の鬼退治で有名な渡辺綱です

 

鴻 神社

鴻巣宿の総鎮守 境内の大樹に コウノトリが巣をつくった。卵を産むと

大蛇が忍び寄りコウノトリが突き殺してしまった。以来祟りがなくなり

村人は社を鴻の宮と呼ぶようになった。

コウノトリがたくさん描かれている

鴻巣御殿跡

文禄二年 1593年徳川家康は鷹狩りの際宿泊所を建てた 以来

秀忠、家光三代が鷹狩りに使用した御殿があった、1691年ここに

東照宮を祀り除地とした。

勝願寺

家康は深く帰依し葵の紋瓦を許した。墓所は関東郡代伊奈忠次

忠治 親子。本多忠勝の娘で真田信之に嫁いだ小松姫、家康家臣

仙石久秀の墓がある。

桜が咲き始めです

一日目終了です

 

今回の宿泊ホテルです

桶川宿のひな人形

江戸時代桶川には腕の良い人形師がたくさん住み産地となった。

馬室原の一里塚

江戸日本橋より十一里目 

馬頭観音

当時 馬は家族同様に大切な存在であった。 すべて人力しかない時代

馬は大切な働き手で馬に頼った。また桶川は競馬のさきがけがあった。

多聞寺

万治四年1661年創建 本尊は毘沙門天立像 境内のムクロジは

推定樹齢 二百年 根廻 9.5m 樹高 27m 実の種は固く

羽子板の黒玉になる

 

矢部家 商家

明治期の建築 紅花の穀物問屋

お助け蔵

穀物問屋木嶋屋総本家 島村家の天保七年1836年築造

国有形文化財 三階建 土蔵 天保大飢饉の救済のため建てた

武村旅館

嘉永五年 1852年築 明治天皇巡行のさい供をした山岡鉄舟が

泊まった。現在も営業 国有形文化財

板石塔婆

緑泥片石を利用 非常に薄く 死者の供養と作者の極楽浄土を願う

上尾市に入りました

その1 終了