Audibleで聴いた本


・三浦綾子

塩狩峠

旧約聖書・新約聖書

道ありき


・遠藤周作

深い河

海と毒薬

沈黙



〈感想など〉


・三浦綾子さん


三浦綾子さんは厳しく真面目で非常に激しい方である。行く先々で人を惹きつけ、どんな時も多くの人に囲まれながら生きた人だ。


キリスト教徒になる前の「普通の人の感覚」を誰よりもわかっているし、その不信感をそのまま作品の中で表現している。


数々の苦難を経て、人生をともに歩む人の真心(愛)に触れて、キリスト教の道に入ることを決める。その過程の描写は文学的に見事であり価値があると思う。


私はキリスト教徒は皆人格者だと思っていたし、だからこそ近寄り難いと感じていた。


でもそれは誤解で、失礼を承知で書くと、キリスト教徒の方々は「未熟である」がゆえにキリストの教えを守ろうと謙虚に日々を積み重ねている人々だと理解できた。私と同じ「足りない人間」だったのだな…


それぞれの教義は納得する点も多い。原罪を背負っているが故に永遠に足りない存在、迷える存在、どうしようもない存在である人間を神は赦すのだ。人は「それでもなお…」と永遠に懺悔をし続ける弱きものたちであると。


とはいえ、それにしてもキリスト教ゆえに亡くなる人は異常なくらい多いのが気になる。ここに関しては、ずっと疑問に感じている。一神教ゆえの排他性なのか、おせっかいとも思える多文化への介入からか。


「サピエンス全史」のユヴァル・ハラリは中東の歴史学者。東洋的なものに親和性のある方だけど、この著書の中で世界の様々な宗教について中立的に詳しく述べられている。そこで書かれていることが、自分的にはかなりしっくりきた。欧米社会に対する批判ともいえる問いかけは普段私もボンヤリ感じていることだった。


そもそも宗教とは何か。難しいなぁと思う。みんな幸せに生きたいと願っているだけのに、宗教というものが1番争いを引き起こしているのは何故なのだろうか?(…という問いは三浦綾子さんの作品にも遠藤周作さんの作品にも出てくる…)


その点で、遠藤周作さんの作品は、自身もキリスト教徒である視点から「日本におけるキリスト教とは何か」について深く問うている。


「沈黙」では隠れキリシタンへの凄惨な拷問に耐えかね、司祭であるロドリゴはキリストを裏切る。最後まで神を信じ、信じ、信じたのに神は沈黙を貫かれた。この絶望こそがこの作品の根幹を成す。


「深い河」

登場人物の大津は、自身クリスチャンの家に生まれ、カトリックの神父になるべく仏国の修道院で修行を積む。しかしキリスト教における根源的な部分に疑問を抱かざるを得ない自分に苦しむ。司祭達を欺き続けることができず、破門されてしまう。行き着く果てはインドのガンジス川。大津はそこで最貧層の死体を葬りガンジス川に流す仕事をしていた。


遠藤周作さんは12歳で洗礼を受けたカトリック信者だが、文化的・思想的に日本の風土とは大きく異なるキリスト教との違い、矛盾などを作品のテーマとして追求されてきた…。


問いは投げかけるも、どの作品にもその答えはない…。結局、遠藤周作さんにもよくわからなかったのかもしれないし、白黒はっきりさせないところが既にキリスト教文化とは離れているように思う。日本的なのかもしれない…


と、結局考えはまとまらないままなので、

聴き終えたのは随分前なのだけど、感想を書くのが遅れてしまった。


おそらく、宗教というものは「考えたり」「分析」したり「遠くから眺める」ものではないのだと思う。それは自分の中に取り込み、一体化させるもの。言語化するような次元のものでもなく「感じるもの」「体感するもの」なのだと思う。


私とて、神社に行くと自然と心は落ち着き、思わず頭を垂れてしまう。手を合わせると、願い事をするというより、自然となんでもない今の境遇に感謝の気持ちが湧いたり、ふと自らを振り返ったり心が落ち着く。


結局、宗教とは「体験そのもの」なのかなと思う…



まとまらず、すみません。ショボーン


ただ、三浦綾子さんは類い稀なる正直な方というところに感動しました。


前川正さんとの真心のやりとりは、

命削られる人たちが、限りある命を眼前に突きつけられる極限状態がゆえの精神の透明さが織りなす奇跡だと思う。


それを作品として残してくださった三浦綾子さんの功績は大きいと思います。


つづく