「過去」って書くと、「失敗した」のマイナスな感覚。な~んか不安がまとわりつく感じ。
同じ「追憶」という行動なんですけど、ま逆の作用があったりします。
「良い追憶=自信を与えて、勇気がわく
悪い追憶=自信をなくして、不安にさせる」
落ち込んだり、どうしようもない困難にぶつかった時、人は変な習性があり、「成功した記憶を忘れる傾向」があるらしいです。
立ち尽くす・・・
頭が真っ白!
その後
「どーせ私は、あの時も、こんな時も、あんな時さえも~」の
マイナスの追憶ばかりをして負の連鎖に陥る事をしがちです。
でも人生の中で同じように成功した経験も、同じ様に存在しますよね。
なかなか落ち込んだ時には難しい作業とは思いますけど、
意識的に人生の中での成功した場面を繰り返し思い出すさせる事を
してあげるのが良いかも。
一人じゃなかなか難しいとは思いますが、
日記に書いたり勿論SNSを利用して書いてみるって事も
良いかと思います。
書くって作業も、物凄く精神面に良い作業なので、
考えをまとめて、実際に文字として形をなす事で、小さな成功体験が強固のものに変わってきたりするものです。
幼稚園の時、小学校の時、なんかしら先生や親に褒められた事あるはず・・・
「順番をよく待てました」「上手にお返事できました」「でんぐり返しがじょうずですね」
小さい成功体験から思い出して書いてみる。
社会に入った時の挫折、今の状況も書いてみる。
交互に思い出す事で、
「あら~?なんとかなってんじゃない?わたし!!」
なんてポジティブな思考に変化していくものです。
悩んでる人って漠然とした不安感があったりするもの。
今までの人生の中で失敗ばかりのマイナスのイメージが張り付いていて、
それが原因で今の不安を煽って、
さらに大きなマイナスイメージを起こしている事に
自分できずけたら、
今度は、プラスの良い追憶を交互に記憶させる事で
マイナスが中和されて、
新しい一歩が踏み出せるかなぁ・・・
追憶は人に勇気を与えてもくれますが、
同時に破壊する契機ともなるって言われています。
上手に「追憶」過去を振り返り、「想い出に変わる迄」になったら良いですね・・・
なんて思う今日この頃です(笑)
で、先日怒られたので、ちょっと凹みながら日記を書く私でした(笑)
御存命だったなら是非、淀
子供のころ見て、大人になって見直すと絶
映像の一つ一つが絵画
クロエチ
今回はじんわり可愛いんだなぁ~なんてくるかな
なんて思ってたら、
ひょんな事に沖縄に行く用事が出来ました。
ラッキー!!
こういう事って私、結構あります!!(笑)
もしかして無意識に洗脳でもしてるのかしら(笑)
でも・・・・思惑と違い、本島では無く島へ・・・
くじけません!!
ねばって、交渉して、探して、島+本島の安いツアー見つけました!!
まぁ、安いと言っても、
島は用事のために、高級ホテルなので
高い~!!
でもメリメリは出さずに済むので
感謝、感謝、平にご容赦~っていう思いで
いっぱいでございます。
かねてからの夢、青の洞窟へ是非行きたいものです。
夜は短し歩けよ乙女を読んで
言葉をこんなに面白可笑しくテンポよく書ける作家さんに脱帽で、○林製薬の商品名みたいにあ~なるほどって納得してしまう上手さがあります。
そして言葉の一つ一つが笑えます。しかも的を得てるんですよね・・・・
主人公の私がグズグズと恋愛関係で進展が無いのを友人が指摘する場面で
「石橋を叩き過ぎて打ち壊すぐらいの慎重さが必要だからね」
「違うね。君は埋め立てた外堀で暢気に暮らしてるのが好きなのさ。本丸へ突入して撃退されるのが恐いからね。」
「本質をつくのはよせ」
「僕には分かんないな。時間の無駄だろう。どうせなら二人で楽しく過ごせばいいじゃない」
「俺には俺のやり方がある。人の指図は受けないよ」
「なんでそういう思考になるのかな・・・・本当に君は阿呆だよね。そういう所が好きだけどさ」以下略
面白い~!!実に明快にバッサリ切り捨てごめんの世界(笑)。痛いとこ突かれた!!って思う人多いはず。これを魂の遠距離恋愛って位置づけてるのも笑えます。
かくいう私も石橋を叩き過ぎて壊し、
あらまぁ…じゃぁ迂回しましょうっと歩き、
又橋を見つけて叩きすぎて打ち壊し…。
なんだか最後には破れかぶれになって
目の前のロープで向こう岸に渡る無茶な挑戦をして、
案の定、濁流の中に落っこちて
危うく溺れ死ぬ羽目になり息も絶え絶え岸にあがり、
やはりとばかりに石橋を叩くような
支離滅裂な人生を送っている人間には、
笑ってる場合では無いですが(笑)
ただ、そうは言ってもよそから見れば、
平穏無事に人生を送っているかのように見えるのは、
恐るべきド天然な事と
結構何とかなってしまう神様のご都合主義の幸運に
私もあやかっているとしか思えません。
ただし、人のふり見て我がふり直せです。はい、反省。
この作中で、全く恋愛とは関係ないけどとても感心した部分があって、
まるで古本市の神様の如し美少年が主人公に文学をとくシーン。
「全ての本はつながってるんだよ」って言って有りとあらゆる本を関連付けているのです。
これは本が大好きな人間としては、おおぉ~って感嘆のため息を漏らす事と思います。
マッチ売りの少女って結局現世で幸せを得られないところ、童話でありながら救いが無くて泣きたくなった記憶があります。
幸福の王子もそう・・・
なんだってツバメをこき使って、自分の主義に沿わせて越冬できずにツバメを殺す羽目に追い込んだのか、挙句の果てに王子もツバメもゴミみたいに焼かれる羽目になっておしまい。いくら神様に看取られたって、王子を殴りたくなった記憶があります。
これって私だけなのかしら?
ツバメは最後、敬愛する王子の為に死んでいったから、ある意味幸福なのかもしれないけど、
王子は幸福だったのかしら?不幸ですよね。自分の最愛の存在を自分の主義で殺しちゃったんだから。罪の意識で心臓が割れてしまったのも判る気が致します。
子どもの読む童話って何かしらの教訓が含まれてるけど、
これってなんだろう・・・・
「人生幸せを分け与えたとしても、自分に救いが帰ってくるとは限らない」?
王子に焦点を当てるとなんだか、本当に救いがなくなってきます。
で、ツバメさんは
「かけがえのないものの存在のためなら命を投げ出す事も惜しくない」?
まぁ、ツバメの思いは王子の両想いですくわれましたから。
王子を焦点に当てないで、あくまで一般人感覚の燕さんが、王子の考えに傾倒して心酔して王子の為に善人、もうある意味聖人に変わって行って、最後は王子の愛に看取られながら亡くなるって考えれば、もう美しい愛の物語で切ないラブストーリーか、武士道さながらの忠臣物語。
きっと宗教心があったら、報われなくとも神様は救ってくださる~的な発想が出てくるんですけど、確かに子供のころは本当に思いました。天国で幸せに暮らせて良かった!神様は見守って下さってるのよね~って。
大人になったら現世第一ですし、天国には行きたいけど、今急いで行くところでもないし死んでから考えればよいかなぁと思うわけです。なので、報われないじゃない!!って意識がどうしても働いてしまいます。
宗教のない日本人なら、尚の事、エンディングは、王子の為に働いた忠義の燕としてお墓でも建てられて、現在は出世の神様として祭られてる位の名誉ある死として華々しく飾ってもらいたいものです。
功労も誰も知れず、ゴミのように散るのではなく…(子供の為の童話ならば)
ちなみに作者の人生って本当に周りを不幸のどん底に落としながら、自分さえも浮浪者さながら人生を終わった方。これが書けるんだったら、貴方もっと家族や恋人の事考えろ~って、私は単純に思うのは、すでに純粋な子供心が消え去ってしまったのかしら(笑)
なんてオスカー童話集を読んで、ぶつくさ書いてます。この童話集恐ろしい位に救いのない話ばかりで、びっくりしました。太宰治か!!って衝撃です。
これ暗くなりたい時にはお勧めです。非常に落ち込みます。こんな話ばっかりだとは思いませんでした。童話が全てディズニー映画に脚色された物語に慣れ親しんだものとしましては、現実の虚しさをかみしめる苦い作品でした。
卵潰しちゃった~









