先日のNHKでブッタの真理の言葉を解説してました!面白かったです。
なかなか本は読みずらいけど25分なら聴いてられますから(笑)
フランシスコ講和会議中、セイロン(現スリランカ)代表のジャヤワルデネは
以下のようなスピーチをしています。
戦争中に受けた日本軍からの大きな被害を述べた上で、
我が国は日本軍に賠償を求める事は致しません。
なぜなら我々はブッタの言葉を信じているからです。
「憎しみは憎しみによってはやまず。
ただ愛によって止む。」
全て水に流すという意味では無く
受けた傷の大きさも述べて
その上で愛によって憎しみに打ち勝とうとした1国
凄い信仰心ですよね。
ブッタはこの世の有様を正しく見ることが出来ない事=無明といい
「無明は煩悩の中で一番汚れた存在である」と説いてます。
些細な事で喧嘩をした時
些細な事とで仲直りが出来るはずなのに、
「かれは前から自分の事が嫌いではなかったか?」
「私よりも、あの人の事が好きになって、これを機に縁を切ろうとしているのではないだろうか」
色々考え込んでしまって、相手の一つ一つの動作や会話から、
「きっと敵対行為の現れだ」と感じ、
そのうち「あいつは敵だ!」と、恨みを持つようになります。
そのような疑心暗鬼の雪だるま式に膨らむ心の様を「無明」とし、
疑う心を自分自身で作りだし、それがさらなる苦しみを生みだす事に
つながっていると思っていたからです。
自分が世界の中心だと考えがちですが、
世界は自分の意志とは関係なく移ろい過ぎて行くものである事に
気づけば、
「自分がこうしてほしいのに、相手はしてくれない!
なんて気が利かない!
気が利かないのは、自分の事を気にかけてないからだ、
そうなら、こっちも気にかけるものか!憎んでやる!」
こんな怖~い勝手な思い込みから生まれる
恨みからの苦しみから逃れる事が出来るというのです。
だいたい世界が自分の理想通りに動くはず無いのです。
「社会が悪い、政治が悪い、周りが悪い」
周囲のせいにするのは簡単ですけど、
やり場のない恨みがそのかわり生まれ
悶々と不満が渦巻く人生となります。
ですが
「自分が世界に順応して、その中で一番自分らしさを発揮できる事は何か?」
そう考えるだけで、世界がはっきり見えてくる!そんな気がいたします。
自分の立ち位置を世界のニーズに合わす!これがブッタの真理かな?
(とうとう悟ったか!!私ったら!な~んて煩悩だらけですけど)
人間は生まれつき煩悩を持っています。
なので当然煩悩に偏った考え方をしがちである。
そのなかで一番の悪い煩悩の「無明」がある事に気づくと
その苦しみから抜け出ることが出来ると説いております。
先日書いたブログの中で「過去」や追憶の事を書きましたけど、
その心理療法と同じような事を説法で説いているので、
ブッタの言葉が「心の病院」と言われているのが判りました。
「おろか者が自分を愚かだと気づく事によって賢者になるのです」
まずは客観的に自分を見つめ直し、なぜその恨みを抱いたのか考える必要ありますよね。
人に話したり
日記に書いたり
そんなクールダウンすると
割と冷静に状況を判断できるかもしれないですね。







一休み~一休み~


どちらも美味~、歯触りもネットリで味も御飯にぴったり~
長く使ってますと熱いし、なんだかチクチクする気がします
早く届かないかなぁ~、このまま使用して良いのか不安