対比、と言われ、即座に浮かぶのは生と死である。
美術予備校浪人時代、粘土を用いて対比を表せという課題があった。悩んだ。そのときも、生と死しか浮かばなかった。
何故ここに辿り着くかは解明できないのだが、私は死より生に関心があるようだ。主に妊婦のフォルム。美しいあれこそ神秘のエロス…これはまた別の話なのだけど。

悩んだ挙げ句、資料で見かけた鮭の一生に強く惹かれていた。卵が孵化し流れながら成長をして、生まれ故郷に戻って朽ち果てていくという一生。直接的とも思ったが、私は事実そのままを粘土で表した。作品は子宮化し、今も心に深く残っている。
子宮化というのは完璧な造語で、作り上げた作品が己の子宮のように感じるという現象を点す。馬鹿馬鹿しいのだがこれで善し悪しを体感していたのだから仕方がない。見るとじくじくと疼く。泣きたくなる。それが子宮化である。
そして今、また対比という問題にぶちあたった。
即座に浮かぶ生と死。どんなものがどのように、と、そこを濁して表現するのはお門違いというものである。デザインとは伝達をすること、伝わらなければ意味がない。それでも強いイメージは私を強迫する。

穂村弘の『革コートの襟の毛皮に鼻埋めて(じゅうごねんまえころされたうさぎ)』という歌をみた。頭のなかで激しい対立が起きる。メタファを捜し、そのメタファが対立を生む。兎というひとつのモチーフ。
なんとなく倒錯的な、目眩を覚えた。

目が覚めて、それからすぐの体に血の回らない感覚や、焦点を合わせようとするその瞬間や、私が私を生きていることですら、倒錯的だのに。
むしろこれを表していくことが、私への理解に繋がるんだろうか。


ひとつひとつの課題をやらねばならない。
恋がしたいな。
浅はかな。
相互関係が成り立たない位小さく浅はかな…と思ったけど、あたしは好いたいし好かれたいし、で結局面倒な道を選ぶのね。
いばらの道。
友人男に、彼氏できるかな?と聞いたらできるできる!できるよお!積極的であれば!と言われたところだった、そういえば。
あれ?
あたしは積極的がウリだったような。

逆に積極的にこられたら確実にコロッといってしまう心境にあるのも事実。誰でもいいとか最早選ぶとかってなんなのか。人を選ぶって何事?友達とか恋人とか、何事?
そうなってしまうと私は私が大切ですから、としか言いようがなくなるのは苦しい。来るもの拒まないのに。…たぶん。
こんなんでは駄目なんだろうと、それもわかるけど。
年中恋しているひとはほんと年中恋している。羨ましくもあり、逆に思うこともある。相手のことを思うあまり…
それって良いな。私は一生そうはなれまい。対象が人間であることがないだろう。
なんとなく、デザインや美術にはそうなれるかな~と思うあたり本当に美術が大好きなのだなあと実感する。胸が苦しい。

胸や肺に白く冷たい空気が入ったのち、それを締め付ける動きがあって、目を閉じると世界にハレーションが起きる、それから子宮がじくじくと痛む(動く?)のを感じ、血が体内を蔓延っている感覚が私を覆い込む。それから呼吸をすると、生を感じるのだ。生きている実感のある瞬間。
もちろん常にこんな感覚があるわけではないのが悲しいかな。これって恋に似ていると思います。仮令違っても、私の中の恋愛って生きていると思うことに片足つっこんでいるから。
ただ、人間が対象にあるという理由で片足だけなのだけど。心までは支配できまい。それが怖いし、悲しい。当たり前のことを悲観してしまう位に恋愛は面白いものだとは思うのだけど。
悲しいことの少ない恋がしたいものだ。
だからしばらくは美術に現をぬかすであろう私。


身体にビビビ! って電撃が走ったの!
って、ああ生きてるんだ!私は生きてるんだ!ってことで、
生きてるんだからなにかしなくちゃって、
そう思うから他人が関係なくなってしまうんだろうか?
私が労働したいと思う所以は、一方的に他人に貢献できるところにある。
腰低く頭を下げて、醜い笑顔を浮かべながら丁寧に言葉を選ぶ。これをすることで手元にお金も入ってくるのはたまらない!
己の許容範囲を超えてしまうと、プツンと何かが切れたように怠惰が身体に充満するのが困り者だけども。
テレビのお陰か久々にバイト先が活性化していた。繁盛は良いことだ、私の体の節々や両足が悲鳴をあげればあげるほどに良いことだ。
働くことが好き。他人のためになること。無償の愛と接客と、有料の料理と場所を提供する私の如何に幸せなことか。
バイトではなく仕事となると、やりたいことが直結してくるのは私の大学の特性だけどもそれが良いなと思う。一般大より美大が好きだ。ただ私が美大だからだけど。私が一般大行ったら色々見失ってしまう。
自分を否定しないところから入る。他人を傍観するところから出てくる。くだらないと思うのは自分によって起きた現象だけにしておくことが、私にとっては成長する一歩ではある。
プライドがある。自信がある。…大学に…
専門や、服飾や、そういったものを下に見てしまうのは仕方のないことだ。と思うのだけど、それをやめろってことで。それに服飾なんかは全く専門外だしなあ…
海外とかアントワープとかしか知らない俄だけども、コレクション鑑賞が趣味でもあるので、なんとなく昨今の所謂服飾系ってのが嫌いだ。なんでみんな同じなんだろう。つまらんな。
素敵なテキスタイルのカーテンが欲しいなあ。

受験カテゴリからなんとか抜け出せたこのブログですが、性質上体はかわらないと思うので期待しないでやってくださいね!なんて!
気分的に思う存分なにかやらかしたい。自慢とかでもいい。ゲームでもいいし、カフェオレ思う存分飲むでもいい、歌うでも、それが課題につながるようにモチベーションを維持していくことが大事。丁寧に考える見る作っていく。何を面白いとするか、ではなく、発見をどのように消化し、どのように伝えていくのか、という展開にあるのがデザインだと思っている。