部屋の鍵も、窓の鍵も、ブラインドもなにもかも閉めてしまえば、私は世界に一人となる。
それよりも簡単に、目をつむれば一人になれることを私は知っている。
そうすれば雨がしとどに降る音も、血液を求めてさ迷う蚊の鳴き声も、全て聞こえなくなる。
どくどくと己の血流の音だけが聞こえる。
すぐに引き返される現実とのこの距離であるからこそ、こういった現象が起こるのだけど。


見知った人の文章は、読むとき何故あんなにも歯痒くて、嫌な気分になるのだろう?
我が物顔で浅い知識をひけらかすのは楽しいか。浅はかな言葉しか使えない。じゃあ見なければいい。そうすれば否定の感情なんて生まれないのに。だのに私は見てしまう。嫌な思いをする。私の言葉がが誰よりも浅はかなことを知っているからだ。
気づきたくないことなんて山とある。他人の噂話だとか、じゃなくて。己の無力さと非力さと、本当にゴミくずみたいな存在価値と、とにかく悲惨で醜い私の情報である。他人と接触して初めて分かるのだ。私の首を絞め続けるこの情報は、多分死ぬまで途切れない。

本当に一人になれればと考えて、止める。馬鹿な思考回路をこれ以上ショートさせていいものか分からない。

酷くきれいなシニヨンを携えたチュチュが、横をすり抜けていった。
彼女の回りの空気は白く、淀みない。
どうして同じものを見るのに、どうしてこんなにも、色も、形も、匂いも、違うの。
どうして同じ呼吸をしないんだろう。


課題で老人を描いた。
若輩者の己を突きつけられる。
いくら利口だって、金持ちだって、経験と知識の前ではひれ伏すしかないのだろうなと言うのは(このブログにおいても)散々吐露しているとは思うのだけども、それは人間的価値であって、社会的価値でない。
なんでもいいけど何かを[持って]いる人は[持って]いない人より何らかの行動を伴っているじゃない。前科、とかは良くないけどね。私は金も、運も持っていないから。じゃあ何もってんだって、他人のためになるような良いものは生憎持ち合わせていない貧弱な身体と脳かな?
肉親を泣かして、そんなんで一体他人のためなんかになれるのかなあ?


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ところで[告白]観たよ。
あの始終27時みたいな小説に中島哲也かあ、と少しの不満も漏らしつつ。
中島哲也の映像は良かった。音が止まる。いらないと思う。白が映える画面も良かった。単純に美しかった。
単純に美しい、というのはすごいね。今自分で書いて気付いたけども…後付けも、それこそ先入観も要さない、感じる心に直撃する感情、それも感動の中の最高峰「美しい」なんて言うのは。素晴らしいね~なんて素人のガキが言ったところで何かが変わるわけではないが、少なくとも私の中に起きたのは「単純明解でもって純粋な感動」でした。
原作読んでたので展開は好きだったけども未読だったらどうかなあ。わかりにくそうだなあ。視点の切り替えとか。しかし未読の友達はちゃんと理解したようで面白かった!と言っていた…私がバカなだけだったようでした。映画観なきゃなあと思っていたのと久々の映画館だったのも相俟って楽しかった!友達にサテリコンの人柱やってもらったので、早いところ見ようと思います。映画詳しい映画好きが多いのも美大ならではね。非常に良い環境です。日々刺激を受けています。
困った。詰まった。
図書館に行くと、全ての本を読まなくてはならない強迫観念が湧いてくる。私は在学中にどこまで知識を増やせるか?何を見て何を創れる?よくわからない。怖くなってしまった。
深く息を吸ってやり過ごす。煙草が無い。から空気を飲む。胃が悲鳴を上げる。かわいそうになる。
元々依存でなくとも、こうも追い詰められるとすがりたくなるものだ。大学に行ってから気を張りすぎていたんだろうか?そろそろ吐き出してしまいたい。
酒のみたい。
体の気管をぼろぼろにしてやりたい。
嘘だけど。

好きでないものを好きと言うこと、目も当てたくないものに目を当てること。今まで好き勝手に生きてきた。今ではそれと向き合わねばならない。好きな世界だけに浸かっていてはなにも始まらない。嫌いなものに手を伸ばし、好きなものはクオリティを上げる、と、ただそれだけのような気もするけど。
フットワーク軽く生きたいな。
もう少し賢く生きられないものだろうか?