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パウロのヘブル人への手紙 2章 <21>
IV.逐語解説
14-15節 :
(14)このように、子たち(すなわち、御父によってキリストに与えられた信者ら)は
血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、
それらをそなえておられる。
(ただし、処女懐胎によって生まれ、罪を持たれなかった点においては同様ではありません)
それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、
(15)死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、
[神への和解へと]解き放つためである。
(ヘブル2章14-15節)
和解:
死への恐れは、人間の内に、この世での安全を確保しようとする強い衝動を生み出します。
すなわち、欠乏への恐れや、死につながりかねない危険への恐れです。
また同時に、宗教を生み出す原動力ともなります。
もっともそれらは、永遠の安全を約束すると称しながら、実際には偽りの約束にすぎません。
いわゆる「サタンの世界体制」の多くは、人間がどうしても振り払うことのできない
肉体の死への自覚を根拠として成り立ち、またその自覚から力を得ています。
死からの唯一の真の解決であるイエス・キリストから背を向ける者たちにとって、
悪魔の偽りの解決策を受け入れるようになることは、避けられない結果です。
しかし、真理と命へ至る唯一の道である方、
すなわちイエス・キリストへと向き直る者たちのために(ヨハネ14章6節)、
神は平和を備えておられます。
(14)キリストはわたしたちの平和であって、[ユダヤ人と異邦人の]二つのものを一つにし、
敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、
(15)数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。
それは、彼[ご自身の体]にあって、
二つのものをひとりの新しい人に造りかえて[この]平和をきたらせ、
(16)十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、
敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
(17)それから彼は、こられた上で(初臨において)、
[神から]遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、
また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。
(18)というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、
父のみもとに近づくことができるからである。
(エペソ2章14-18節)
和解とは平和です:
それは、神と人との間の平和であり、すなわち、イエス・キリストにおいて
神が差し出しておられる平和の申し出を
受け入れることを望む人々との間に成立する平和です。[1]
罪は、私たちを神から隔てていた障壁、すなわち「隔ての壁」となっていました。
しかし、イエス・キリストは、その壁を、十字架という「木」において
ご自身のからだにすべての罪を負われることによって打ち壊されました。
聖なる神は、その本質において罪と相容れないお方です。
しかし今や、罪という障害は取り除かれました。
そのため神は、平和の福音を通して、それを受け入れようとする
すべての人に和解を提供しておられるのです。
神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書(すなわち、個人的な罪の記録)を、
その規定もろともぬり消し、これを[障害として]取り除いて、
[二つの間の和解ができるように]十字架につけてしまわれた。
(コロサイ 2章14節)
和解の教理は、悪魔の反逆に端を発して生じた宇宙的な対立の全体を、
包括的かつ要約的に明らかにするものです。[2]
(19)神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた[神の]徳を宿らせ、
(20)そして、その十字架の血によって平和をつくり、
万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、
彼によってご自分と和解させて下さったのである。
(コロサイ1章19-20節)
サタンの反逆は、反逆した天使たちに代わる存在として
人類が創造されることにつながりました。
さらに、サタンが人類を誘惑し、私たちの最初の両親を罪へと引き込んだことによって、
神と人との間に敵意が生じました。
しかし神は、イエス・キリストという賜物を恵みによって備えてくださいました。
このキリストにおける罪の赦しを通して、
人類は再び神と和解することが可能となったのです。
そして、信じる者たちがこの平和の申し出を受け入れることによって、
堕落した天使たちは教会によって一対一で置き換えられます。
このようにして、歴史すなわち神のご計画が完全にその歩みを終えるとき、
十字架において私たちの愛する主であり救い主である
イエス・キリストによって勝ち取られた勝利を通して、
神の創造は完成と調和を回復するのです。
(23)ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。
最初はキリスト、次に、主の来臨(すなわち、再臨)に際して
キリストに属する者たち、
(24)それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、
すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
(25)なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、
支配を続けることになっているからである。
(26)最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
(第一コリント15章23-26節)
十字架によって、二つのもの(すなわち、ユダヤ人と異邦人の信者)を
一つのからだとして神と和解させ、(神と人との間の)
敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
(エペソ2章16節)
(54)この朽ちるもの[体]が朽ちないもの[体]を着、この死ぬものが死なないものを着るとき、
聖書に書いてある言葉が成就するのである。
(55)「死は勝利にのまれてしまった。(イザヤ25章8節)
死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。(ホセア13章14節)
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
(56)死のとげは罪[の性質](すなわち、罪を生み出すもの)である。
罪の力は律法(すなわち、私たちの罪を明らかにするもの)である。
(57)しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を賜わったのである。
(第一コリント15章54-57節)
そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって
明らかにされた恵み[救い]によるのである。
キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを
明らかに示されたのである。
(第二テモテ1章10節)
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
(黙示録21章4節)
死は罪の結果です。
私たちの救い主イエス・キリストは、十字架における霊的な死によって
人類のあらゆる罪のために死なれ、
罪によって築かれた敵意という隔ての壁を取り除くことによって、
「死そのものを滅ぼされました」。
私たちがこの福音という「良き知らせ」に応えて、
主イエスとその御業を受け入れるとき、私たちは天の父なる神と和解させられるのです。
このむすこが死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに見つかったのだから』。
(ルカ15章24節前半)
あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、
子たる身分を授ける霊を受けたのである。
その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
(ローマ8章15節)
このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、
「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。
(ガラテヤ 4章6節)
もはや私たちは死を恐れて生きる必要はありません。
死はもはや私たちの救い主に対して何の支配権も持っておらず(ローマ6章9節)、
私たちもまた、神の定めの時に、
主が復活されたのと同じように復活させられるという確かな確信を持っています。
(例:第一ヨハネ3章2節)。
私たちはかつて神の敵でしたが、十字架によって神と和解させられ、
今では、私たちを兄弟姉妹と呼んでくださる救い主と同じように、
神を「父」と呼ぶ者となったのです。
(ヘブル2章11–12節)。
(8)しかし、まだ罪人であった時、
わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、
神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
(9)わたしたちは、キリストの血によって[信仰により]今は義とされているのだから、
なおさら、彼によって神の[来るべき]怒りから救われるであろう。
(10)もし、わたしたちが敵であった時でさえ、
御子の死によって神との和解を受けたとすれば、
和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
(11)そればかりではなく、わたしたちは、
今や[父との新しい関係にある]和解を得させて下さった
わたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。
(ローマ5章8-11節)
私たちは神の恵みを受けた者として、
キリストの血によって天の御父と和解させられ、神の平安を経験しています。
新約聖書における「平和」は、ギリシヤ語のエイレーネー(eirēnē) であり、
これは人名の「イレーネー」の語源でもありますが、
「争いや不安から解放された状態」を意味します。
しかし、新約聖書の著者たちは、この平和という概念を、
ヘブル語の同義語であるシャローム(shalom) から切り離して考えることはありませんでした。
シャロームとは、単に問題や困難がないという意味にとどまらず、
完全さ、満ち足りた状態、幸福、安らぎ、静けさを含む、より豊かな意味を持つ言葉です。
今日のイスラエルでも親しみを込めた挨拶として用いられているシャロームは、
「欠けるところのない完全な状態」を意味しています。
私たちはかつて、この世にあって迷い、希望を持たずに生きていました。
しかし、十字架を通して、私たちは再び神の栄光ある平安のうちに連れ戻されました。
イエス・キリストご自身が、私たちの平和だからです。(エペソ2章14節)
これこそが、「和解」という教理の本質です。
すなわち、罪のゆえに神と私たちとの間に存在していたあらゆる敵意が、
キリストの犠牲によって完全に取り除かれ、
その結果、私たちは御子を通して、御霊によって、
御父との完全さと平安に満ちた関係へと回復されたのです。
(イザヤ53章5節;ローマ5章1-2節,8-11節; コリント第二5章18-20節;コロサイ1章19-23節,2章14節;
エペソ2章14-18節,3章12節;テモテ第一2章4-6節;ヘブル4章16節;ペテロ第一3章18節)。
わたしは平安をあなたがたに残して行く。
わたしの平安をあなたがたに与える。
わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
(ヨハネ14章27節)
(1)このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、
わたしたちの主イエス・キリストにより、[父なる]神に対して平和を得ている。
(2)わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、
そして、神の栄光にあずかる希望をもって(すなわち、待ち望んで)喜んでいる。
(ローマ5章1-2節)
[1] BB 4A:「イエス・キリストについての研究」II.9.「和解(Reconciliation)」を参照してください。
[2] 『サタンの反逆』シリーズでは、これらの問題が主として詳しく扱われています(参照)。
<22>に続く
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詩篇37篇4節~6節は、新年に頂いた聖句でした
2016年という新しい年が、私にとってどんなことが待っているのかなぁ![]()
と、心弾んだ2日の夜に
圧迫骨折でリビングに布団を敷いてもらったまま
一ヶ月が過ぎようとしています
台所から聞こえる音や匂いひとつひとつが
以前聞いたことがなかったように思うほど鮮明に届いてきます
長女さんが荒れた手を守るために、ゴム手袋をして洗い物をするのですが
洗い終わった後、水を切ってぶら下がる白いゴム手袋が
まるで手のひらを合わせた祈りの手のように
リビングで寝ている私から見えます
今まで自分にできることが出来なくなるというのは
誰かの助けを借りないと、やっていけないという事なのだと
改めて思い知らされます
自分の計画、思いは完全に脇に置かなければなりません
いろんな場面で、私の知らない恵みが、見えなった恵みが
どれほど大きかったのかという事に
気付かされ、感謝せずにはいられません
それにも増して、ただ主に信頼し、主に委ねること
主によって喜びをなすことが
もっともっと大切なことなのだと学ばされます
これからも、少しづつ…
主に栄光を帰することができますように
お祈りします![]()
ガザニアは寒い冬でも強いね![]()
太陽の光を浴びて、反射するように輝いてる![]()
こんな風に咲いていたいなぁ![]()
*:..。o○☆゚・:,。*
ソラン君、
お父さんとお揃いのちゃんちゃんこで
あったかそうね~![]()
(半纏の袖を使ってのリメイク![]()
パッチワークのこたつ掛けも姉が作りました)
今日もありがとう~![]()



